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icon of Amane Katagiri さよなら、キョーカイの子

砂利がちな河原に積み上げられた即席のかまどから、きらめくような火の粉と共に七色の炎が上がる。これが夜明け前の河川敷には似合わない奇妙な焚き火であることは、誰の目にも明らかだった。

よく乾いた細い薪で作られた祭壇の一番上にくべられているのは、混紡のサージ織で仕立てられたブレザーだったもの、だ。炎に包まれて丸く溶けていく布地が、スカートと、ブラウスと渾然一体になって目の前で蒸発していった。

やっと、終わる。


水上和子。カズちゃん。キョーカイの子。大学進学後に自殺するまで数年の間「ミナト」と名乗る。

母親と祖父母が熱心な某新興宗教の信者で、父親は正しい教えに耐えきれず逃げ出した、と言い聞かされて、疑問を差し挟む暇もなく弟も含めた家族五人で小学校卒業まで育つ。幼い頃から母に連れられて近所で勧誘活動を繰り返す姿が同級生の目に入り、小学校では「キョーカイちゃん」というあだ名で通っていた。

しかし、この「キョーカイちゃん」というあだ名を重大ないじめと断定した当時の担任が、多様性尊重と差別防止のための特別カリキュラムを数週間にわたって乱発する。最終的には、 首謀者 たちの水上に対する謝罪と反省文の提出をもって事態は収束と認定されたらしい。

しかしクラスメートから見れば、水上が道徳や社会の教科書の向こう側にいる特殊な存在に押し込められて、あだ名で呼び合える気軽な関係ではなくなった、というだけだ。担任がニュートラルなあだ名として提案した「カズちゃん」は、もちろんほとんど使われないまま卒業に至った。この件がきっかけで、当時の同級生とは最後まで疎遠だったという。

水上自身も「キョーカイちゃん」という悪気のないあだ名一つでクラスメートとの関係を崩壊させた担任のことを深く恨んでいた。あの件がなければ普通の中学校に行ってもっと普通の友達ができていたのに、子供の社会が壊れるのはいつも頭の固い大人たちのせいだと、よく怒っていた。

――というような話を、マイは枝分かれになった取り留めのないエピソードをあちこち行ったり来たりしながら、私に語って聞かせた。もっとも、水上はマイの前では「ミナト」と名乗っていたらしいので、水上というのさえ本名なのかは怪しいところだ。だって、わざわざ本名を隠そうとして、連想ゲームのような名前を選ぶだろうか。

「じゃあ、その水上……ミナトさんが、去年亡くなって、今は教団のお墓に入ってるのね?」

「そう。でも、ミナトはそんなの嫌だって言ってた。キョーカイの子じゃなかったら、本当はもっと普通の学生生活を送れるはずだったのに、って」

「だから、ミナトさんのお葬式をやり直したい……っていうか、ちゃんとマイなりに見送りたくて、電話してきたんだ」

「う、うん! そうなの……あっ!」

スマホのスピーカーから、ガタンッと床にぶつかる大きな音が響く。慌てた様子のマイの声が遠くから近づいて、思っていた通りに言い当てられて驚いたのだと興奮交じりに告げた。それから、やっぱりユミってこういうオリジナルの儀式を作るのが得意だったもんね、としみじみ呟いた。

得意なもんか。オリジナルの葬式を考えるのが得意ですなんて、特技の欄にも書けやしない。

きっとマイが得意だと言って思い出しているのは、私が中学生の頃に何度か考えた勝手な節分や七夕のことだろう。マイは、私が作り上げるもっともらしい 非常識 がお気に入りだった。平日は授業と部活で忙しいから、毎年次の土曜日にずらすのは当たり前。縁起の悪さだって、二人が気にしないならどうでもよかった。私たちの常識が認めるなら、街一つ消し去るくらい簡単だったと思う。

だって、私はマイのために考えてあげたんだから。

河川敷で「鬼」と書いた石を対岸に届くまで何度も投げてみたり、願い事を書き込んだフラワーペーパーを手持ち花火で燃やしてみたり、一つ一つの所作に適度な意味を込めて、私たちはその場をぐるぐると回ってみせた。マイはそういうちょっぴり日常から外れた 儀式 をスラスラ作り上げる私のことを、憧れの視線で見ていた。きっと、マイの家では絶対にこんなことは許してくれないから。

もちろん、こんな儀式には宗教的背景も江戸時代から続く伝統もない。私とマイだけが楽しむことに、そんなものはいらなかった。木曜日に家で豆を投げるより楽しいことをしたい。自分の願いごとを笹につるして誰かに見られるのは恥ずかしい。それなら、今日からこれが正しい儀式です……やっていることは創作マナー講師と同じで、かれらも私もただ人より嘘をつくのがちょっと上手なだけだ。

だから、まるで新しい宗教みたい、というマイの言葉もあながち間違いではないと思う。

そういえば、大学に進学してから初めてのお正月に「飲みやすいお屠蘇ってないかな?」と言われて、カレー粉とスパイスリキュールとチャイ(しかもアーモンドミルクで割るのだ)を混ぜたような不思議なレシピを送った気がする。三色の猪口に三回に分けて注いで、それぞれ左右に三度回して飲むべし、なんて仰々しさも添えて。結局、あのレシピが上手くいったのかは結局聞いていない。

いずれにしても、私は誰かが惰性で守ってきた形だけの伝統を勝手にアレンジしただけで、オリジナルなんて名乗れるものじゃない。葬式とか祭祀とか、死んだ誰かのための儀式を作り出すなんてホラー映画の導入みたいだし。マイが話す水上という人間(そもそも本当に人間だろうか?)のことだって、今日知ったばかりでどうすれば喜ぶかも分からないし。何より私が考える必然性がなかった。

……いや、実際のところはそんな冷静で丁寧な言葉で語れるものではない――話を聞いている限りだとおそらく――高校を卒業してから私とマイがしばらく疎遠になった原因の一つであろう女のために、私とマイの秘密の遊びを汚したくなかった。マイがこんな女を弔おうだなんて相談してくること自体、私にとってはある種の裏切りだ。しかし、私がここで感情のままに断ればどうなるか。その結末も想像にたやすく、またどうしても避けねばならないはずだった。

マイの相談が電話越しでよかった。音にさえよく気を付ければ、イライラを逃がすためにクッションにがりがりと爪を立てているのも、きっとバレずに済むだろうから。私は明確に怒っていて、そしてそれ以上に焦っていた。

「えーと……マイはどう見送りたいとか、自分では何か考えてみた?」

「ううん。だって、ユミの方がいろんなこと知ってるし……私が考えても、正しいか分からないし……

篠宮マイ。私とは小学校の頃からの幼なじみで、高校まで同じ学校で過ごしていた。地元ではちょっとした名家の生まれで、頭が凝り固まった父とそれに付き従うだけの母に厳しく育てられた結果、自分の常識から半歩もはみ出せない真面目で正直な子に育つ。小学校では階段を一段抜かしで上がる一過性のブームに乗れず変な子扱い。中学校ではちょっとした外出にも親の許可が必要で、そのノリの悪さでクラスの中心からはほんのりハブられていた。

私から見ても、マイは確かにつまらない子だったと思う。こんなお遊びのおまじない一つ考えるのもおぼつかない不自由な子だった。不自由というだけなら、消しゴムに誰かの名前を書いて祈っていた子と同じだけど、マイはそれ以上に意味もなく強い権威を求めて憚らなかった。

テレビや本で 正統 だと紹介されている無駄に細かい作法にこだわるのがまどろっこしくて、そんなのに正解も間違いもない、と突っぱねるとマイは困った顔をした。だから、最初はただ言いくるめてやろうと思っただけだ。

でも、目の前で一つ一つマイの主張する 伝統 を解いて見せただけで、まさかあんなに驚くなんて。私のちょっとした嘘で、マイをつまらない常識の足場からこんな簡単に連れ出せるなんて。マイが隣の席から恐る恐る「ユミちゃん、それあたしもやっていい?」なんて尋ねてきたこと、今でも思い出す。

マイの母親相手に三日遅れの七夕に連れ出す許可を取り付けたのも、マイにとっては魔法のように見えていたと思う。マイさんと一緒に自由研究で花火の形を観察したくて、昼に河川敷で花火をしたいんです、昼に花火をするのは子供だけでも十分に安全で……先に何度かマイの家に遊びに行っておいてよかった。突然家に来た子供が花火は安全だなんて言い出したら、しっかり警戒されて追い出されていたはずだから。

花火を選びながら、いかにも頭が悪くなりそうな若者の遊びに出かけていいですかなんて、そんなのバカ正直に言うからみんなと遊べないんだよ、と教えてあげたけど、マイはピンときていないようだった。でも、あんな広いだけで何もない家で育ったら、ただまっすぐなだけの子に育つのも無理はない。

そう、マイはまっすぐなだけだ。

だって、本当はマイと同じ大学に行くはずだった。マイが私とそう約束したから。でも、可愛い娘を遠くに行かせるのは心配だというくだらない親のこだわりで、結局マイだけが一回りも二回りもレベルを下げた県内のパッとしない私大に進むことになってしまった。女に学問はいらないんだって、と両親と姉の三人から言い聞かせられたと告げるあの時のマイは、裏切られた私の悲しみをぶつけるにはあまりに小さくて弱々しかった。

大学卒業までの何年か親をごまかすくらい、私に相談してくれれば簡単だったのに。そんな負け惜しみを伝えられないまま、マイと私は新幹線のホームで抱き合って別れた。それから――きっかけはどうあれ――私と離れてあのキョーカイ女とよろしくやっていたんだから、やっぱり私にとっては裏切りと変わらない。

「好きだったものを供えるとか、お香を焚くのは定番だけど……それはどう?」

「でもね、お墓の場所は教えてもらえなかったの。それに、あんなに嫌ってた場所に閉じ込められてるミナトにお線香を上げても、ちゃんと供養になるのか分からなくって」

「それは違うんじゃない? だって、あのお墓にいるのは水上さんで、マイが一緒にいたのはミナトさんだし」

だから、見方を変えればミナトさんはまだ誰にも供養されてないって言えるかもね、と呟いてみせると、マイはまた驚いた様子で、しかし今度はスマートフォンをしっかり握ったまま息を呑んだ。

「じゃあ……お母さんが連れて帰ったのはカズちゃんの身体で、ミナトのことはまだ……私がやらないといけないんだ。ねぇ、ユミ。どうしたらいいかな?」

……はぁ!? マイの言葉を聞いて反射的に振り上げた私の拳をぐりぐりと飲み込んだクッションが、勢いを吸収しきれず床にすり潰されて私の代わりに悲鳴を上げる。マイもマイで素直すぎるのだ。あんな家族と宗教に縛られて死んだだけの女を、優しくカズちゃんなんて呼ばないで。水上なんかにマイはもったいないのに。

そもそも、水上はマイとどういう関係だったのか。そう尋ねるのは簡単だけど、答えによっては電話先でもごまかせないほど動揺してしまうかもしれない。そう……少しずつ、少しずつ。

……じゃあ、私たちでお墓を作ってあげるのはどう? マイとミナトさんだけのお墓を立てて、もう一回お葬式をして、ちゃんとミナトさんを見送ったらどうかな」

「お墓? でも、もうお骨は収められちゃったし、そもそもどこにあるかも分からなくて……

「いいんだよ、別に。遺品を依代にするのも儀式の一つなんだから。神道では遺品を霊璽にすることもあるしね」

「そうなんだ……うん、それなら私でもできそう」

嘘はついてない。本来は白木の柱で作った霊璽に魂を宿らせる儀式で、代わりに遺品がその役目を引き受けることがあるという。マイが適度な権威や伝統に弱いことは知っていた。だって、私の儀式はそうやって作られていて、世界を書き換えるエネルギーの源だから。

「ミナトさんが使ってたもの、ミナトさんからもらったもの……なんでもいいよ。マイは何か持ってない? それを核にしてお墓を作ろうよ」

「あのね、ミナトはよく制服……ブレザーの可愛いのを着てたの。そうね……よく、東京の高校の子が着てるみたいな」

高校の制服? 思いもよらない答えにそう聞き返すと、マイはまたあちこちに散らばる水上との思い出を語り始めた。

担任の一面的な正義感、殊更に強調されるいじめの重大さ、悪魔のような同級生から娘を救いたい親心、その全てが不幸に噛み合ったおかげで、水上はもともと予定のなかった遠く離れた教団の中高一貫校に進学させられたらしい。

卒業する先輩からのお下がりが伝統とされた質素でぼろぼろの制服、娯楽のない真っ白な寮、狭義が生活の隅まで入り込む厳しい日々……そんな環境でも明るく笑顔の同級生に囲まれて数ヶ月が経ち、水上は徐々に自分が置かれた状況に疑問を持つようになった。

そうだ。あれもこれも、私が「キョーカイちゃん」だなんてあだ名を付けられたせいだ。あの担任が勝手に大騒ぎしなかったら。ママがこんな宗教に入っていなかったら。水上は次第に周囲への恨みを募らせると同時に、自分が謳歌するはずだった空白の六年間を取り戻す計画を立て始める。

その一つが、教団と関係のない大学に進んで、憧れの制服を着ることだった。

マイが語ったのはおおよそこういう事情だった。制服で講義を受ける、制服で遊びに行く……水上はそういう自分の人生に対する報復に固執していて、あろうことかマイにも制服を着るよう頼み込んでいたという。本当に許せない。

「それで、マイはミナトさんの制服持ってるの?」

「うん。実はね、ミナトが死ぬ前の日にお揃いの制服をくれたの。自分のと一緒に。預かっててほしいって」

「じゃあさ……その制服で、ミナトさんのお墓を作ってあげようよ」

お揃いの制服……そうそう、こういうのだ。屋上に靴を置いていくみたいに、自分の痕跡を誰かに託す投げやりな願い。水上はマイに形見でも残そうとしたんだろうけど、そんな布きれ一つで吹き飛ぶ人生なんて私の敵じゃない、と思った。こういうのはもっと、相手の身体を、心を切り刻んでから死ぬものだ。

すばしっこく現世を逃げ回る「ミナト」の姿を消し去るには、これが一番早い。

私の言葉をじっくり噛み締めてから「やっぱり、ユミってすごいね」なんて呟く電話先のマイの声は、やっと救いが得られたとでもいうように、ずっと背負っていた重荷が魔法で軽くなったみたいに、明るくて軽やかだった。


ミナトは傷だらけの子だった。

同期にアイドルみたいな服で講義に来ている子がいる、と嘲笑混じりに語る噂を聞いたのは、大学に進んで初めてのゴールデンウィークが明けた日のことだ。オリエンテーションで同じグループだったのがきっかけで、一緒に学食に行くようになったゴシップが好きな子。顔は少し覚えてるけど、名前はもう忘れちゃった。

服なんて何を着たっていいのに、とユミなら言い返してくれる気がする。ユミのことだから、豪華なドレスで講義に行くくらい平気な顔でやってしまうかも。これも一種の儀式だよ、なんて笑い飛ばして。

だから、私はその子のことが少し気になっていた。

その日は、えーと……ゴシップちゃんが自主休講の日で、久しぶりに一人で過ごす昼休みだった。五月の第二食堂は、サークルで知り合ったらしい先輩と後輩がごちゃ混ぜのグループとか、ゴシップちゃんみたいな子が高速で会話を繰り広げるテーブルとか、初夏の気配に当てられた浮足立った空気でいっぱいだった。

そんな騒がしさの中で、日当たりのいい窓際の一角だけが波が引くように静かだったのをよく覚えてる。そこにいたのがミナトだったから。アイドルみたいな服の子。噂の制服の子。紺のブレザーにチェックのスカート。確かにそれは、私たちが今いるキャンパスの風景からはふわりと浮いていた。

それでも、制服ちゃん――ミナトは当たり前のような顔でパスタランチを口に運び、ゆっくりと水を飲む。何かの撮影でもなければ、誰かの視線を気にしているわけでもない。そこで自分の昼休みを過ごしているだけ。

「ここ、座ってもいい?」

ミナトが座るテーブルに向かったこと、突然話しかけたこと……あの時どうして私の身体がミナトに向かったのかは、もう思い出せない。でも今振り返ると、大学食堂に高校の制服で出入りするその姿に、きっとユミの気配を感じていたんだ。儀式を作るのが上手なユミ。儀式のためならどんな障壁も気にしないユミ。もしかしたら、この子もユミに似てるんじゃないかと思った。

私が声をかけると、彼女はフォークを止めて顔を上げた。不安と警戒心で強張った瞳。じっと見下ろされて後ずさりする野良猫みたいに。

……他のテーブルも空いてるけど。私のこと、笑いに来たの?」

「ううん。その制服、すごく可愛いなって思って」

半分はちょっとしたお世辞、でももう半分は本心だった。彼女は面食らった顔をして、それからゆっくりと、強張っていた肩の力を抜く。傷だらけの野良猫なら、ちろちろとミルクを舐めるみたいに。少しずつ彼女の縄張りが狭まって、私はそれに合わせて距離を詰めるように席に座った。

……ありがとう。これ、本当は高校の時に着たかった服なんだ」

それが、私とミナトの最初の会話だった。

彼女は自分の名前をミナトだと名乗った。水上和子……カズちゃんと呼ばれていたのだと教えてくれたのはもっとずっと後のことで、でもあれがどんな日だったかはもう覚えてない。答案か郵便物か、偶然見かけた名前を何気なくミナトに聞いてみたのは覚えていて、彼女は特に本名を知られても気にしていなかったと思う。本名なんてただの名前の一つで、私の友達は ミナト だった。

ミナトは少しずつ、でも昼食を食べるのも忘れて自分のことを話し始めた。きっとこんな話、今まで誰も聞いてくれなかったんだと思う。大好きだった家族のこと、それらを全て壊していった宗教のこと、灰色だった学生生活のこと、そうやって自分が キョーカイ という狭い世界に閉じ込められていたこと。本当はこんな制服を着て、放課後にクレープを食べて、カラオケに行って、そんな当たり前を送りたかったこと。

自分が今やっているのは、ただのコスプレなんかじゃない。奪われた人生をやり直すための復讐なのだと、ミナトは熱っぽく語ってくれた。昼休み終わりのチャイムが鳴っても二人の皿にはパスタが残ったままで、私たちは慌てて放課後の約束をした。

「変だよね。大学生にもなって、中学生から遊び直したいなんて」

講義後に再び顔を合わせたラウンジで自嘲して笑うミナトを見て、私は胸の奥がぎゅっと掴まれたように痛んだ。そんなわけないでしょ、と思わず立ち上がって反論する私のことを、ミナトは不安そうな目で見上げて、そして気圧されるように謝った。別にミナトに謝ってほしいわけじゃなくて、私も少し涙ぐんだ声でどうにか彼女をなだめた。

父が決めた習い事、母が選んだ洋服、厳格なだけの門限、その他明文不文の禁止事項のリスト……私の青春もまた、見えない檻の中で置き去りのままだ。だから私には、ミナトがこうして青春を取り戻そうとする気持ちがよく分かった。

でも、私にはユミがいた。逆に言えば、ユミがいたというだけだ。ユミは魔法使いみたいに、河川敷を儀式の場に変えて、私を連れ出してくれた。ユミが作った新しい儀式だけが、私の呼吸できる場所だった。溺れながらユミの手を握ってきらきらした水面に顔を出す……それが私にとっての青春だったから。

ミナトが復讐と名付けた作戦は、一見するとただ二人で遊びに出かけるだけの平和なものだった。駅前のクレープ屋で一番カロリーの高いメニューを頼むこと、カラオケで流行りの曲を歌うこと、市立図書室の自習スペースで並んで勉強すること。

中でもミナトが強くこだわっていたのは、ゲームセンターのプリクラだった。私服の私と制服のミナトが並んで笑顔でピースするキラキラの写真。肌は陶器みたいに真っ白に、目はぐりぐりと大きく、もっと丸く。慣れないタッチペンでスタンプを貼り付けたシールを手帳の裏に並べて、こうしてたくさん写真を残すのが、彼女なりの証明のつもりだと言っていた。

ミナトは私にも同じような制服を着てほしいみたいだったけど、結局最後までお互いその話はしなかった。大学生にもなってアイドルみたいな制服を着て出かける、というのは実際に向き合えばやはり恥ずかしいことだったし、ミナトも彼女自身の復讐に私を巻き込む勇気がなかったんだと思う。

結局のところ、ミナトが描き出す儀式は、世界を書き換えるにはあまりに独りよがりで脆かった。

ユミの作る儀式は、現実を塗り替えてしまう圧倒的な説得力があったから。河川敷の石ころに呪いを込めて、何でもない一日を新たな祭日に変える、誰にも有無を言わせない言葉の力。ユミが「これがルールだ」と言えば、世界はそれに従った。私が彼女の手つきだけなぞっても真似できない魔法の力。

もちろんミナトにもそんな力はなくて、そうして青春のやり直しを繰り返していくうちに少しずつ、少しずつミナトはすり減っていった。

最後の日のこと、今でもよく覚えている。

「マイちゃん、前に地元の友達のこと教えてくれたでしょ。魔法の儀式を作ってくれる子のこと」

ユミのことは何度か話したことがあったけど、ミナトは 儀式 という言葉に抵抗があって、ユミのこともかなり警戒していた。ユミに教えてもらった儀式も、ミナトはどうも気乗りしなかった。最初の頃は、ミナトをユミに会わせれば何か変わるかもしれないと思っていたけど、ミナトの無意識にこびりついた宗教観と伝統の意識は予想以上に根深くて、捨て去れない心の奥底に残っていた。

だからこそ、唐突にミナトの口からユミの話が飛び出したのは、少し不思議だった。

「その子なら、解けない魔法もかけられる?」

「どうだろう……でも、解けない魔法はないと思う。だからユミは、いっぱい儀式を考えてくれたんだよ、きっと」

「じゃあさ、もしも魔法が解けちゃったら、もう一回儀式をしてくれない? マイちゃんになら、任せられるから」

どんな儀式をしたらいいのかな、とは聞けなかった。ミナトは私に制服を手渡して、そのまま姿を消してしまったから。

助けられた人はまた別の人を助けるようになる、なんてよく言うけれど。どうやれば私はミナトを助けられたんだろう。結局ユミの真似しかできなかった私に、彼女の手を引く資格があったのかな。ミナトが制服を残していなくなった今でも、時々そんなことを思う。


その日はできるだけ黒い服を着て集まる約束をして、マイが通っていた大学の最寄り駅に終電で集まることにした。今から、水上をこの世から完全に消し去るための長い夜が始まる。わざわざ新幹線に乗って、さらにシートの固い在来線で数十分かけてここまで来たのだ。こんなつまらない 儀式 のために。

でも、マイがどうしても水上が生前住んでいた場所の近くで見送りたい、と言い出すのだから仕方なかった。これは水上を消し去るためだけの儀式じゃない。マイに別れを納得させるための強力なおまじないだ。マイが少しでも私を怪しめば魔法は解けてしまう。

だから、こうして酒の飲み方一つ知らないような大学生が騒がしく闊歩する駅前でマイを待つことにも、当然意味があった。意味があるからこそ、この時間は本当に隅から隅までつまらないのだ。

「ユミ……だよね。久しぶり。元気だった?」

「うん、おかげさまで。ちゃんと会うのは久しぶりだね、マイ」

大きく膨らんだ新品の紙袋を抱えたマイが、綺麗な黒のワンピース姿で私の前に現れた。何度も電話越しで話していたマイは、最後に会ったあの日よりずっと大人になっていた。同じ黒い服のはずなのに、トレックパンツにフリースジャケットを羽織った私の格好とは大違いだ。そういえば、どうやって お墓 を作るかを教えていなかったっけ。爆ぜた火の粉で穴が開かなければいいけど。

懐かしさと一緒に湧き出るのは、マイに裏切られたという冷たく暗い意識。だって、五年も待ったのだ。人生で一番自由で、一番楽しいはずの時間を全て水上に奪われて、今でも水上は目の前で――マイの中に生きている。そんなの許していいわけがない。

マイは既にこの祭祀の気配にすっかりのめり込んでいて、久しぶりの再会だというのに重苦しい空気が流れていた。何一つ興味のない水上との思い出話でも聞かされるのだろうと覚悟していたけれど、肩透かしだったらしい。私が質問して、マイが二言三言答える。そんな繰り返しを何度か続けているうちに、河川敷の天端に辿り着いた。砂利がちな河原は遊歩道の街灯の光がやっとわずかに届くほどの暗闇で、秘密の儀式を紛れ込ませるにはちょうどいい。

「あのさ。マイはその制服、着たことあるの?」

「うん。ミナトがいなくなってから、家で一回だけ……あっ、ミナトの制服じゃなくて、私にくれた制服の方ね」

……そうなんだ」

そう言って、マイが紙袋を大事そうに抱え直した。あぁ、聞くんじゃなかった。こんなもの、どうせ全部まとめて燃やし尽くしてしまうのに。

わざわざ綺麗な紙袋を買って殊勝な態度で運んだところで、こんなの中身はただの布切れだ。マイがこうして魂の抜け殻みたいに優しく抱きしめれば抱きしめるほど、儀式の意味が重く苦しく積み重なるのは分かっているのに。今すぐ紙袋を引き裂いて、擦り切れたスカートを、色褪せたブラウスをビリビリに破り捨てたい衝動がふつふつと湧き上がる。

「その制服も、一緒にお墓に入れちゃうけど……平気だよね?」

「えっ……ミナトの制服でお墓を作るんでしょ? 私がもらった制服は、残しておきたい……かも。ダメなのかな」

「あー、そっか。じゃあ、こう考えてみて。たった一人で旅立つミナトさんは、寂しいと思わない?」

……きっと、寂しいと思う。でもね、私だってミナトがいなくなったら――

――いなくなったら、何なの?」

うるさい、うるさい、うるさい。やめろ。裏切り者のくせに、まだ水上の味方をするつもりなんだ。かわいそうなマイ。宗教に縛られていただけの弱い女に騙され続ける、素直すぎる子。私が連れ出してあげないと、夜空を一人で飛ぶこともできない子。きっと、私の手で目を覚ましてあげるから。

「ミナトさんを安らかに見送るために、マイの一部をミナトさんに譲ってあげようって言ってるの! マイ自身が一緒に向こうに行くわけにはいかないんだよ? マイだって、そんなつもりないでしょ? 違う?」

「ユミ……急にどうしちゃったの? ミナトの後を追いたいなんて、私思ってない。ちょっと……怖いよ」

「だって、マイが私に……いや、ごめん。マイが本気でミナトさんを見送りたいと思ってるのか、分からなくなっちゃって」

まずい。興奮しすぎた。こんな言葉をまくし立てて、マイを困らせたいわけじゃなかったのに。私はその場に仰々しくうずくまって、どうしたらいいか分からない、とでも示すように返事を待った。マイならきっと、これくらいで 分かって くれるはずだ。

私に合わせてしゃがむマイ。顔を上げてマイを見つめる私。マイの目は既に涙でいっぱいで、小さなまばたきでぽろぽろと溢れだした。そうだよね、マイ。これでいい。マイ自身がもっと儀式にのめり込めれば、それで。

「ごめんね、ユミ。私、間違ってた。この制服はきっと、ミナトを見送るまで預かっていただけなんだね」

「私も、ちょっと供養のことで頭がいっぱいになってたかも……ごめん。あのさ、よかったら……ミナトさんの制服、先に少し見せてくれない? きっと、河川敷に降りたら分からなくなっちゃうから」

マイが重々しく頷く。冷たい街灯の光の中でがさがさと乾いた音が響いた後、意外にもしっかりしたブレザーの整った布地がぼんやりと浮かび上がる。さらにチェックのスカート、白いブラウスが丁寧に畳まれたまま手渡された。マイが言っていた通り、それはどこにでもありそうな、でもだからこそ記号的な高校生の象徴だった。

水上和子。ミナト。嘘も本当も知らない私の敵。節分も七夕も自由に操れない女。あぁ、あんたが死んでくれて本当によかった。あんたが残したくだらない未練が、またこうして私とマイの絆を繋いでくれたんだから。

ありがとう。そして……さよなら、キョーカイの子。


ユミはあっという間に小さな焚き火を組み上げて、最後に上からぱらぱらと黒い粉を振りかけた。これで準備は終わりと言うように振り向いたユミの背後で、青・緑・紫……ただの炎にしては鮮やかで眩しい光が揺れ始めた。本当に魔法みたいだ。

私の役目は、ミナトが安心して旅立てるように祈り続けること。ミナトの全部を受け入れて、許してあげること。

その役目を全うするために、私は紙袋から取り出した二着の制服を胸に抱えて、七色の炎に向かって歩き始める。紺色の布地が紫や緑の光に当たって揺らめいた。この制服の重みは、私たちがやり直した青春そのものだ。ミナトの短い復讐はまだこの中に眠っていて、ここに形がある限りミナトはどこにも飛び立てない。

焚き火の前にしゃがみ込むと、ぱちぱちと火花が弾ける音と一緒に乾いた熱が顔を撫でる。この中にミナトの制服を入れてしまったら、もう戻れない。ミナトは私に何を託してくれたんだっけ。本当にこれでいいんだっけ。そんな迷いで頭がいっぱいになって、じっと炎を見つめて動けない私のために、ユミは横に並んで手を握ってくれた。

「マイ、怖いんだよね。でも、ミナトさんにさよならを言わないと」

「お葬式ってね、本当は生きている人のためのものなんだよ」

「ミナトさんはもうどこにもいないけど、マイはちゃんとここにいるから」

「だから祈ってあげて、もっと。ミナトさんのために」

そうだった。私はミナトを送り出すためにここにいるんだ。ミナトにさよならを言わないと、この儀式は終わらないんだ。

私はミナトの制服を握りしめて、そっと七色の焚き火に差し出した。ブレザーの襟がジュッと小さな音を立てて溶け始める。スカートの裾がぱらりと落ちる。ブラウスが黒い焦げで覆われていく。少しずつミナトの存在が糸になって解けて、炎に飲み込まれていった。ミナトが溶けていく。そんなほんの数秒の映像が、私の目に強く焼き付いて離れない。

そっか、ミナトはもう戻ってこないんだ――と呟くと、私は自然と七色の炎から手を引いて立ち上がっていた。

放り出された制服が焚き火の真ん中に落ちる。鮮やかな炎が一瞬だけ窒息したように暗くなって、しかし次の瞬間、ボウッと大きな音を立ててさらに高く燃え上がった。見覚えのあるブレザーの金ボタンが、熱に耐えきれずにパキッと割れて弾け飛ぶ音がする。もうミナトの制服は、溶け落ちた丸い炎の塊になっていた。

ユミが「頑張ったね」と言って私を後ろから抱きしめる。次はユミが焚き火の前に立つ番で、私はその後ろから燃え上がるミナトに祈りを捧げ続けることになっていた。ユミに言われたとおり、正しい手順で。このお葬式を本物にするために。

ありがとう。さようなら。大好きなミナト。

あのね、青春をやり直したいって強く思う気持ち、好きだった。

でも、ちょっと意見が違ったくらいですぐ「ごめん」って謝るところ……嫌いだった。

プリクラで一生懸命ポーズをとるところ、好きだった。

ユミが考えてくれたお屠蘇を飲んでくれなかったこと……嫌だった。

一番高いクレープを頼んで笑った顔、好きだった。

世界を操る力もないのに頑張りすぎるところ……ちょっと、好きじゃなかった。

好きなところと嫌いなところを交互に唱えてあげる。これがミナトの全部を受け入れることだって、ユミが教えてくれた。いいことだけじゃなくて、悪いことも思い出してほしいって。最初は半信半疑だったけど、等身大のミナトを思い出すと確かに少し安心した。

ユミが焚き火の上から新たな線香をくべる。ぱちぱちと音を立てる焚き火の白煙に混ざってもくもくと立ち上るのは、ビニールが溶ける鼻につく匂いと、髪の毛がちりちり燃えたときの沈み込むような匂い、ミナトが好きだった真っ青な海の匂い。 儀式 のために投げ入れた線香の煙がそれらを絡め取って上へ、上へと進んでいった。その一つ一つが、この単なる野焼きを本物のお葬式に昇華させていく。

――好きだった。

――嫌いだった。

――好きだった。

――――

私はユミの後ろからじっと祈りを捧げていた。ミナトに本当のさよならを言うために。目を閉じると空気が震えて渦を巻く低い音が流れ込んできて、耳を澄ませると誰かの声が浮かび上がってくる気がする。そうだ、この向こうにきっとミナトがいるんだ。

――好きだった。

――嫌いだった。

最後まで私を信じてくれたこと、すごく嬉しかった。ミナトのこと、本当に好きだったよ。

そう呟いて顔を上げると、焚き火の前に立つユミが空を見つめて笑っている。風の音に交じって聞こえるかすれたような笑い声につられて、いつの間にか私も笑っていた。もちろん、楽しかったわけじゃない。あはははは、と声に出すともっと涙が溢れてきた。七色の炎が目に染みた。でも、これが本当の儀式だと思った。これが彼女を見送るための奏上だと信じていた。

私の祈りは空が徐々に白むまでずっと続いて、その間もユミは薪と線香をくべて炎を絶やさなかった。私たちの一番長い儀式が、新しい朝と共に終わろうとしていた。

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