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海のもと(サヤによれば)

サークル室に来たミーコは、私が先に来ているのに気付いて手を振った。ブラウンのボアブルゾンと白いアランニットの柔らかさが、はっきりしたコントラストで縁取られて彼女を包んでいる。この下に同性の私でさえ包み込まれたくなる大きな胸が隠れていることは、少なくとも夏合宿に来たことがある部員たちは――隣の机でカードゲームしている男子部員二人も――よく分かっているはずだ。

ミーコは入学をきっかけに知り合った同じ学科の女の子である。彼女を紹介するなら、まずは琥珀を嵌めたような明るい瞳に触れるべきだろう。そして、その宝石の目と調和が取れた明るくてふわふわで軽やかなセミロングヘア。最後に、私のような人見知りの心をこじ開けるほどの明るい性格について話せば、ミーコの魅力は十分に分かってもらえるはずだ。彼女の身体の柔らかさはまだ知らない。でも、きっと床に指先さえ届かない私の身体よりずっと心地いいはずだ。

私も小さく手を振り返すと、ミーコは嬉しそうに飛び跳ねて黒いビットローファーをこつこつ鳴らす。チョコレートっぽいベロアのロングスカートの裾と一緒に、左手に提げていた薄くて小さな黄色いレジ袋がくしゃくしゃと揺れる。何か買ってきたの、と尋ねると、ミーコは手作りお菓子の詰め合わせみたいにぴんと張った小さな袋を取り出した。

駅前の得体の知れないポップアップストアで売られていたという「海のもと」は、おそらく通販サイトで検索すると出てくる一ダース入りの青い入浴剤を一袋ずつ小分けにしたものだろう。粘着テープで封をしたつやのあるビニール袋には、値札の代わりに紫色の丸いシールが貼られていて、店内の表と照らせば値段が分かるというものらしい。ミーコは税込で五百円だった、と言っていた。チェーンのドラッグストアや量販店での取り扱いは少ないが、実際はさほど珍しいものではない。小さなエスニック雑貨店ではだいたい常連の商品で、通販でも流通の調子が良ければ翌日にはすぐ届く。そして、通販なら一箱で八百円だ。

中には三方シールで個包装された安いバスソルトの袋と一緒に、袋と同じ大きさのコート紙に青一色刷りの古ぼけた商品ラベルが同封されている。「ハイテク新素材」だとか「新しいセフティビーチ」だのと白文字で記された 新しさ は、既に十年どころではない年季が入っていて、死蔵在庫の処分に回されたものを掴まされたのだろう、と思った。でも、こういう胡乱な店ではありがちなことだ。「海のもと」なんて見たことがあっても買うきっかけはないもので、ミーコのちょっとした損はその第一歩にふさわしい偉大な犠牲と言ってもよい。

「ねーサヤ。これ使って一緒にお風呂入らない? 水着とか着たら海に来てる気分になるかも!」

「いや私、中学の時のスク水しかない……

ミーコとのお風呂……のぽかぽかした想像を逃がすために、膝に置いていた手をきゅっと握る。爪先に力が入ってパイプ椅子の継ぎ目がキュイと小さく鳴いた。私はもうミーコと知り合って二年になるけど、友達にどうボディタッチすればいいかさえ見当も付かない。私の人間的な経験はそれくらい少ないのだ。だから、そんな壁を軽々と乗り越えて一緒に入浴しようと言い出すミーコには、決して追いつけないだろう。破天荒なキャラの芸能人みたいに、誰かをお風呂に誘うなんて表面だけ真似してみても、上手くいかないものだ。ミーコが私の知らない友達とおしゃべりしているとき、諦めに似た羨ましさでいっぱいになる。

私はミーコに水着を持っていないことと、冬に水着を売っている店はほとんどないこと、既に夕方で店を探し回る余裕はないことを順番にたどたどしく告げた。ミーコの水着が私の体格に合うはずがないし、二人きりで裸を晒すなんて考えるだけで言葉が出なくなりそうだ。ミーコが何の気なしに私を誘っているからこそ、触れたり肌を晒すことに特別な意味を感じているなんて悟られるわけにはいかない。

「そーなんだぁ。じゃあ、せめて海に行かない? もう今日は海の口なんだよね」

「海の口って何……え、今から?」

「当たり前じゃん。海の口なんだから。今から駅に戻ったら、まだ車借りられるよね」

「いや、冬だし夜だし、そもそも唐突すぎて……

この「海のもと」のパッケージに描かれているのは、太陽と砂浜とヤシの木が並んだ南国の風景で、今日みたいな特に寒い冬の日とは正反対だ。ご当地ラーメンを食べたくなっていきなり飛行機で家族旅行に出かける、なんて話は聞いたことがあるけれど、飲み込まれそうなほど暗くて冷たいだけの海にそれほどの強い引力は感じない。でも、ミーコはそういう子だ。彼女の部屋には、素性の知れないキーホルダーや綺麗な小瓶が丁寧に並べられていて、どこが彼女の琴線に触れたのか掴めない。今日だってミーコの嗅覚がなければ、雑多な商品棚から「海のもと」を見つけることはできなかっただろう。

「でもそういうの、私たちっぽくない?」

……そうだね、ミーコ」

ミーコの新鮮な感性は横で見ていると飽きない。深夜に山頂で遊離電波を聴取したり、オリジナルのスノードームを作ったり、七色の炭酸水を集めたり……ここまで彼女のプリミティブな衝動に付き合ってくれる友達はいなかったのだろう。ミーコはいろいろな遊びに連れ出すうちに、私を好みの合う友達として高く評価してくれたらしい。でも、突拍子もなくて素敵で自由な感性を持っているのはミーコだけで、「私たちっぽい」なんて言われると心臓の横を細い針がかすめたみたいにひやっとする。私はただのつまらなくて退屈な助手に過ぎない。

突拍子もないところが好きで一緒にいるなんて言ったことはなかったし、これからも伝えることはないだろう。そんなつまらないことで、ミーコを失望させたくなかった。


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