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10th PARK road side

/* この作品はURAHARAおよびPARK Harajuku: Crisis Team!を元にしたファン・フィクションです。これらの作品の公式設定を追加または削除したり、置き換えたりするものではありません。 */

/* この作品はPARK10周年記念イベントのために書かれました。 */


川崎駅(西口)

川崎駅の西口乗降所で腕時計を見ながら迎えを待っていたまりが、突然目の前に止まった車に少し身構えたのは、その小さな白い軽自動車の姿が彼女の予想からかけ離れていたせいだ。既に約束の10時からは20分ほどが過ぎていて、直接日差しが当たらない連絡橋の下に立っていても、左右から流れる空気は初夏の匂いをまとっている。

まりはまるで無関係な車だと思ってしばらく訝しんでいたが、助手席の窓を開けて現れたのは「まりちゃん、おはよ~!」と手を振ることこの姿だった。白いブラウスに重ねられたネイビーのチルデンニットベストは、薄手で編みが軽やかな生地のおかげか、この陽気の中でも動きやすそうである。

「あ、あら、おはよう……ことこ」

「まり、ごめん。道が混んでてちょっと遅れちゃった」

薄緑色の偏光グラスを外したりとが、ことこの横から顔を出す。どこかの古い外国企業のものらしい大きくて派手なロゴの入ったオーバーサイズの綿Tシャツは、先日代々木公園のフリーマーケットで手に入れたものだ。厚手の生地がよくこなれていて、ことこのニットベストとは逆にどっしりとした存在感がある。

「気にしてないわよ。うん、大丈夫」

2人に向ける笑顔がひきつるまりだったが、その言葉自体に嘘はなかった。わざわざ目的地と正反対の川崎まで迎えに来てもらっている以上、数十分ほどの遅刻を咎める気はなかったし、浜辺で花火を楽しめるゴールデンタイムはまだまだ先である。

まりの頭を悩ませていたのは遅刻ではなく、小さな目の前の車そのものだ。りとは滑り込みで偶然安く借りられたこの車を気に入っていたようだが、まりにはただの年季の入った軽自動車にしか見えない。ふわりとしたアイスブルーの生地にホワイトローズをあしらったジャンパースカートと、レースたっぷりの日傘を備えたエレガントなクラロリ姿に、こんなちんちくりんでゴツゴツした車なんて似合わない――とまりは思った。

まりの美的センスには合わない見た目はもちろん、自宅からここまで引いてきたキャリーケースもそれなりの大きさで、既に2人の荷物で半分ほどが埋まった荷室に収まる様子が全く想像できないのも気がかりである。まりの目には後部座席も荷室のおまけみたいな狭さに映っていて、こんな場所に詰め込まれたらスカートにしわができるのではないか、と心配になった。

「ねぇ、ことこ。荷物を乗せたいんだけど、手伝ってくれるかしら?」

「うん、分かった!」

「ちょっと大きなキャリーで来ちゃったから、隙間がなくって――あ、入るのね。それなら……うん、よかったわ。ありがと」

こんな車に3人も乗れるものか、と荷室の現状を見せてことこを味方につけるつもりのまりだったが、バックドアを開けると意外にも荷室は広々としている。ことこがてきぱきと荷物の向きを揃えて整理し終えると、まだスケボーがもう2本くらいなら縦に収まるほどのスペースが残っていた。

後部座席も最初の印象よりは広かったようで、日傘を畳んでおそるおそる乗り込んだまりは、2人分の席ならぎりぎり座っていられるわね、と胸を撫で下ろした。とはいえ、やはり快適にはほど遠い。前のシートや左右のドアから感じる圧迫感を隠しきれない中で、優雅なスカートの裾を座面いっぱいに広げて座るまりの姿は、さながら狭い路地裏でピクニックに興じるお嬢様のような退廃を思わせた。

「じゃあ、いったん環七まで戻ろうかな。あとは6号線に乗れば流れで着くよ」

「オッケー。目的地設定しちゃうね。まりちゃんは先に行きたいところある? あ、花火グッズは揃ってるよ」

「そ、そうね……今はいいわ。途中でどこか寄りたくなったら、任せてもいい?」

「うん、分かった!」

乗降所から車を転回して東京方面へ。多摩川を渡る車内から窓越しの河川敷を眺めていたまりが、ふぅと一息ついた。やっとこの状況に慣れてきたようで、身代金目的で誘拐された令嬢ってこんな気分なのかしらなんて思いつつ、前に座る2人に向かって不満をこぼし始める。

「ねぇ、りと、ことこ。もっと大きな車、借りられなかったの?」

「これ? ワークスの8代目がレンタカーに出てたから、なんか面白くて借りちゃった」

「あのね、アルトワークスっていう10年前くらいの車で、昔は軽ホットハッチってジャンルで人気だったみたい。軽くて小さいけどちゃんと馬力があるんだよ」

「馬力? ことこ、そうじゃなくて……いや、忘れてたわ。りとってこういうちっちゃい車ばっかり選ぶわよね。卒業旅行の時もそうだったもの!」

最後に3人で旅行に行ったのはもう3年も前のことで、ことことまりの卒業に合わせた卒業旅行だった。卒業とは関係のなかったりとも「じゃあ、今年でフリーターは卒業ってことで」と参加を決めたので、無事に3人での旅行が実現したのだ。3泊4日という長期のレンタカー費用を抑えるために、格安店を探してボロボロの軽自動車を借りたものだった。

ちなみに、3年前にそんな宣言をしたりとは、もちろん今もちょこちょこバイトをしたりイラストを売ったりして気ままなフリーター生活を送っている。

まりには、この狭くてよく揺れる上にうるさい軽自動車がどれほど珍しい車なのかは全く分からない。そもそも3人のうちで一人だけ運転免許を持っていないせいもあり、自動車そのものにさほど興味がなかったのだ。りとのスクーターに同乗する時は少し心地よささえ覚えるエンジン音も、今日はどうも耳障りな響きが残って腰が落ち着かない。

「3人なんだからこれくらいでいいじゃん。加速もよくて楽しいし。まりはどんな車がいいわけ?」

「大きい方がゆとりがあっていいに決まってるわ。家ではパパが、えぇと……ボクシーに乗ってるの」

「ヴォクシーね。やっぱ3人で乗るには燃費悪いかな」

「じゃあ、カボチャの馬車にしましょ。これなら給油の必要はないわ」

「馬は公道走れないでしょ」

「いや、りとちゃん。馬車は軽車両の扱いだから、ちゃんと訓練すれば走れるよ! でも、ニンジン代を考えたらガソリン車よりも高くなるかも。まりちゃん、ちょっと計算してみてもいい?」

「ことこ、言っておくけど冗談よ?」

「うん、私も冗談だよ!」

いつもなら、ここからさらに「ニンジンを目の前にぶら下げたらお金もかからないわ」なんて飛び出しそうなところだが、まりは代わりにわざとらしいため息をつく。ちょうど道路の少し大きな段差を拾って座席が揺れたせいで、車の小ささを改めて味わうことになったからだ。まりは乱れた呼吸を整えるように、そっとスカートの裾を押さえた。

「じゃあ……つまり、ただ面白かったってだけで、この狭くてカーナビもETCもついてない マニア 向けの車を借りてきたの? 本気で?」

「カーナビは、ことこがやってくれるもんね?」

「うん、ナビは任せて! このアプリ、最新の渋滞予測システムが入ってるんだよ!」

地図が表示されたタブレットを持ち上げて振り向いたことこが、そう言ってまりに笑いかける。ETCもまともなカーオーディオもない中で、まりに「それなら、いいけど……」なんて言わせてしまうのは、ことこの魅力があってこそだろう。もしもここにことこがいなければ、車を降りるまでどうでもいい口論が続いていたところである。

「りと、タバコだけは絶対吸わないでよね」

「禁煙車だから大丈夫だよ」

「あんたね――いや……まぁ、いいわ。運転よろしくね」

昔りととまりの2人で行った突発の旅行で、りとが禁煙室なのを忘れてうっかりタバコを吸ったプチ事件を忘れたのかしら。そう皮肉を刺そうとしたまりだったが、ことこが知らないエピソードを持ち出したら余計に話がこじれそうなので口をつぐんだ。

そもそも、りととことこがまともな車さえ借りていればこんな心配する必要もなかったのに、とまりは狭い天井を見仰いでため息をつく。なんだか没落貴族みたい。あぁ、どうしてこんなことに――

PARK(前日)

「ねぇ、りと、ことこ。明日、3人で海を見に行かない? 夏を先取りするの。浜辺で花火なんてどうかしら?」

そう提案したのは、まりだった。梅雨すら迎えていないゴールデンウィーク直前の4月下旬に「夏を先取り」というのはいささか早すぎるけれど、SNSではそういうひと味違った投稿が注目を集めるものだ。春の陽気をのびのび楽しむ投稿の横で線香花火をパチパチさせれば、きっとみんな目を奪われるに違いない。それに、まりがどうしてもゴールデンウィークに合わせて投稿したい理由は他にもあった。

ちょうどレジ締めを終えて帰り支度を始めたりとは、「んー、いいじゃん」とまりに向き直らないまま生返事で答える。りとは、きっとPARKの10周年記念企画のネタ集めだろうな、とまりの思惑を既に見抜いていて、そのせいで少しだけ億劫な気持ちになっていた。まりがPARKのInstagramで #りとまり 写真を投稿する時は、いつもポーズがどうの立ち位置がどうのと時間がかかって面倒だったからだ。

結局いつも、カメラに目線も合わせない無表情のりとと、ばっちり笑顔で視線を送るまりという謎の構図が生まれてしまうのだが、それはそれで2人の良さが表れていて人気がある。 #りとまり の中でも特に「いいね」が多かったラブホ女子会での投稿は、実はことこもかなり気に入っているらしい。

「はーい、行く行く! 3人で遠出って久しぶりだよね。私、海も花火も大好き!」

外から戻ってきたばかりのことこが、右手を上げて飛び跳ねながらそう答えた。脇に抱えたスタンド看板には「PARKはなんと10周年!」とセールやイベントを予告するポスターが貼られている。看板をがたがた鳴らしながら「楽しみ!」「嬉しい!」「大好き!」と全身で喜びを表現することこは、どうやらまだ10周年企画の撮影が目的だとは分かっていないようだ。しかし、ことこはりとと違ってまりのSNS運営に協力的だから、企画のことを聞いたらむしろ喜ぶに違いない。

ことこの言うとおり、ここ数年はりとことまりの3人で旅行に行く機会がなかった。PARKでの仕事の後にご飯に行ったり、休日にせいぜい都内で済むような買い物に行っていたくらいだ。まりは専門学校を出てすぐはデザイナーの修行で忙しく、PARKに来る頻度も2人に比べれば少なかったし、何度か予定を合わせようとしたものの、今度はまりの休みにことこの学会参加が重なったりしてなかなか実現しなかったのだ。だから、ことこにとっては日帰りの旅行でも飛び上がって喜ぶ一大事である。

「まりちゃん、誘ってくれてありがとね! すっごく楽しみだよ!」

「そ、そう? そんなに喜んでもらえるなら、嬉しいわ。りとも来るわよね?」

「あ……でも、りとちゃん、明日、タバコ屋さんのバイトじゃなかった?」

「私は平気。もともと暇な時だけ行く約束だったし。休むってLINEしておくから」

りとは叔父が経営する新宿のタバコ屋で、小遣い稼ぎ程度の手伝いをしていた。叔父が不在の日に店番を務めるというだけで、やることはPARKでの仕事とあまり変わらない。タバコ屋と言いつつ、効能のよく分からないお茶やエスニックハーブ抽出物、出所の知れない天然の毛皮を使ったふわふわのキーホルダーも取り扱っていて、しかしそれらが合法なのかはよく分からないまま棚に並べられている。

座っているだけでお金がもらえるから楽だというりとの半分冗談混じりの説明と、新宿歌舞伎町の路地の奥にあるという立地を踏まえれば、おそらく怪しい店であることだけは確かだった。密かにことこが毛皮のキーホルダーをDNA分析にかけたところ、ワシントン条約で保護された動物の可能性がある、という結果が出たことについてはここで触れておくべきだろう。

りとはしばしば面倒な仕事をこのバイトを言い訳に断っていたが、今日はこの突発の旅行を優先するようだ。10周年の撮影企画自体には気が乗らないりとも、今回ばかりは3人で過ごす時間が楽しみなのだろう。

「じゃあ、決まりね! りと、車は任せていいかしら?」

「オッケー。川崎まで拾いに行った方がよさそう?」

「そうね。ちょっと準備もあるし、駅前まで来てくれる?」

「えーっと、ことこは中野集合でいい? 前に使ったレンタカー屋でいいかなって思ってて。あそこならスクーター出さなくて済むし」

「アーケードを抜けて左に行ったところだよね? うん、大丈夫だよ!」

りとが持っている125ccのスクーターは、ことこの手で大幅な改造が加えられているが、見た目では分からない。わずかに燃費が悪いことを除けば、街中を走っていてもバレるわけがない、とことこは主張している。

実際、りとがよくスクーターと街の風景をInstagramに投稿していたが、確かに気付かれる様子はないようだ。それに、 #りとまり や #りとこと でのちょっとした遠出ならこのスクーターの出番で、何度もいろいろな場所を走っているが、やはり咎められたことはなかった。

「花火は私が持って行くね。去年使わなかったのが残ってるんだ~。せっかくだし、ブログで花火の解説も書こうかな?」

ことこが運営するサイト「ことことサイエンス」は、もともとお菓子作りの過程を化学的視点から語る料理ブログだった。過去にりととまりがゲスト出演した回が何本か残っているらしい。その後、化学解説パートの独自性で人気を集めてからは、料理に限らず日常の化学について紹介する雑学ブログの毛色が強くなって今に至っている。

料理ブログの時代から購読しているのはファンにとってはある種のステータスらしく、お菓子作りに絡めた内容で古参らしさをアピールするコメントも多い。

「みんな予定が合ってよかったわ。明日が楽しみね!」

笑顔でそう告げるまりは、このままとんとん拍子に準備が進んで素敵な旅になるだろうと疑いもしない。それがまさか、狭い後部座席に押し込められて 素敵な旅 を過ごすことになろうとは、この時は知るはずもなかった。

国道6号

――と、いうわけである。

「それでね、今日撮った花火の写真をまとめて10周年の企画に使おうと思ってるの」

「じゃあ、新しい除煙フィルターも使ってみようよ! 必要だと思って何枚か持ってきたんだ~」

行程は国道6号線を半分ほどまで進んでいた。幹線道路を道なりに走るだけ、と表現すれば退屈そうな時間だが、道路が比較的空いている平日の昼間はストレスも少なく、りとは出会ったばかりの相棒とすっかり意気投合して既にアクセル過多である。

まりも初めは辟易していた手狭な座席の居心地の悪さに慣れたようで、今は助手席のことこと楽しそうに話しているし、ことこも時折スピードメーターが制限速度の30km/h超に近づくタイミングでオービスの位置を気にするくらいで、それ以外はおおよそまりとの会話を楽しんでいた。ことことまりは普段から街の喧噪の中でおしゃべりしながら歩くのに慣れていたので、エンジン音くらいなら気にならないのだろう。

川崎駅を出てからおよそ2時間。6号線が利根川と交差する。1km超の大きな橋を渡りきったあたりで、茨城県と取手市のカントリーサインを見つけたまりがふと疑問を口にした。

「それで、あとどれくらいかかるの? そろそろお尻が痛くなってきたわ」

「ちょうど半分くらいまで来たよ! 東京抜けるまで渋滞がひどかったし、2時間はかからないんじゃないかな?」

「2時間ですって!? 茨城県ってそんなに広いのね。ねぇ、せめて高速に乗りましょうよ」

「えー、ETC付いてないからちょっと面倒かも。ていうか、今は高速の方が混んでるんじゃない?」

「ちょっと待ってね。んー……三郷は過ぎてるから空いてそうだけど、もう常磐道からは離れてるから、30分くらい戻らないと合流できないかも。ごめんね、まりちゃん」

何本かカラフルなルートが引かれた地図を見せることこだったが、そのいずれも今走る道を素直に北上するのが最も効率的という結果を示している。6号線をそのまま進んで1時間先のつくばで高速道路に合流するルートも下道に比べればせいぜい数分差で、まりの負担を軽減するには力不足だろう。

「そうなの? なんだか最悪のルート予測だけど、それならしょうがないわね。別にことこが謝ることじゃないわ」

昨日旅の準備を進めていた段階では、どうせなら茨城あたりの海岸まで行きたいと言っていたまりだったが、今となっては無理せず近場――三浦半島とか、せめて木更津くらい――に行けばよかったと後悔していた。しかし、発電所の夜景が穴場みたいだよ、ということこの話も少し心に残っていて、ただ引き返すのももったいない。

「早く行きたいなら、スピードはまだまだ出せるよ?」

「りとちゃん、それはダメ! オービスがあるって言っても全然聞いてくれないし。さっきも危なかったんだよ?」

「ごめんごめん。冗談だから、ね?」

ちょうど信号で車が止まったので、りとがことこの頭を撫でて落ち着かせる。りとの気持ちがスピードに乗るのはスクーターでもホットハッチでも変わらないが、今日はナンバープレートが前にも付いているので、心配も二倍多くなる。オービスの位置は逐一アプリがアナウンスするのだが、りとはあまり参考にしていないようで、そのたびにことこはスピードメーターを横目に見ながら肝を冷やすのだった。

「なんか卒業旅行を思い出すわね。高速使えばすぐなのに、節約しようって無理に下道で遠回りして」

「りとちゃんの鬼の峠攻め、本当にすごかったよね! 死ぬかと思ったもん。まりちゃんなんて途中で気持ち悪くなって、ゲロゲロ~って――」

「ちょっと、ことこ!? そんなこと思い出さないでよ」

「まり、専門の時にメイドカフェでバイトしてたよね。あれも懐かしいなー」

まりが一時期池袋のメイドカフェで働いているのを2人に隠していたのは、PARKでの接客よりももう一段高い声で客に給仕する姿を見られたくなかったからだ。言わなければバレなかっただろうに、雑談の流れで思わずことこに話したのが最大のミスである。

どういうわけかことこからその話を聞き出したりとが来店してしまい、張り付いたような笑顔で接客することになったのは、まりにとっては今でも黒歴史だ。

その翌日に3人が揃ったPARKは、ある種の修羅場だった。りとはまりの怒りの主張なんてどこ吹く風だし、ことこも自分の口の軽さを反省する一方で「私もメイドまりちゃんに会いたかったのに~!」と言い張って、まりを困らせた。そもそもまりが口を滑らせたのが原因なこともあり、あまり強く言い返せなかったのだ。

その後、まりのメイドカフェバイトの話は暗黙のうちにタブー扱いになっていて、今日のこのタイミングまで4年ほど触れられずにいた。まりは2人にバレてからもしばらくバイトを続けていたようだったが、流石に卒業前は忙しくなって辞めたようだ。

「りと、その話はもうしないって約束だったでしょ?」

「そうだっけ? まぁ、もう5年くらい前のことなんだしいいじゃん。メイドのまり、PARKにいる時より可愛かったし。ね、ことこ?」

「う、うん! ……す、すごくよかったよね。あのチェキ、伝説級っていうか……」

ことこはまりがメイド時代のことに触れられたくないのを察していたので、勢いよく理想のメイドまり像について語り出しそうになるのをぐっと我慢して、控えめにりとの言葉に同意する。仮に今りとと2人だったら、メイド服姿のまりが手でハートを作ってウィンクする「あのチェキ」をもう一度見せてくれるよう頼み込んでいただろうが、今その話題を持ち出したらチェキごと燃やされかねない。

りとは本当にメイドまりのことを可愛いと思っていたし、実際にはその姿を見ていないことこにまでその可愛さを共有できるのはなんとも嬉しいものである。しかし、まりは不意打ちでその姿を見られた恥ずかしさや怒りを思い出して、どうも冷やかされているように感じてしまうらしい。

「ほら、ことこもメイドまりは完璧だって言ってるよ」

「は、はぁ? あれは仕事だったからで、あんたたちに見せようとしたわけじゃ――」

「り、りとちゃん! 次の交差点を右に曲がった方がいいみたい。ちょっと渋滞してるって」

「……ん、ありがと。ことこ」

ヒートアップしそうな気配を感じたことこが、唐突な交通案内で会話を中断させた。本当はどこにも渋滞なんてなかったのだが、運転中に最も差し込みやすいのはこういう急なアナウンスである。わずかに迂回したところで到着時間は数分も変わらないし、もしもの時はまた使おう、とことこは思った。

「ことこ、まり、そろそろお腹空かない? 石岡のあたりにおすすめのラーメン屋があるんだけど、どう? 前にことこと行ったんだけど――」

「この服でラーメンなんて食べるわけないでしょ! 私はコンビニで済ますから、先に寄ってよね」

「……あっそ」

そう畳みかけるまりにりとがやり返さないのは、口論の応酬で熱くなるのを避けたのではなく、ただただりとが返事をするのも面倒になったにすぎない。りとがこうして口を閉ざすと、ムキになったまりが食ってかかるのでむしろ逆効果ともいえる。まだ目的地にも着いていないのに大丈夫だろうかと、ことこは先行きが少し心配になった。


「りとちゃん。本当にまりちゃんも一緒じゃなくてよかったの?」

「いいよ、別に。まりはコンビニ飯の気分なんでしょ」

「それは、そうだけど……」

普段なら運転の途中で食事をとる時は「眠くなったら困るから」と控えめな注文を心がけていたりとだったが、今日はそのルールを破るように平坦な声でトッピング全増しの特製ラーメンを頼んでいた。

ことこの注文は岩のりがたっぷり乗ったラーメンだったが、りとの注文を聞いたせいか、思わず食べるつもりのなかったチャーシュー丼まで追加している。さっきまでりとの運転を見守ったり、まりのいらだちをなだめたりするのに集中していて気付かなかったようだが、ことこもかなり空腹だったらしい。

「ふふっ。ことこもお腹空いてたんだね。私も久しぶりの車の運転でエネルギー使っちゃった気分」

「あ、だから大盛りなの?」

「うん。まりが食べない分、いっぱい食べちゃおうかなって。トッピング、ことこにも少しあげるね」

ことこが感じ取っていた雰囲気とは裏腹に、りとは久しぶりのラーメンへの期待でわくわくしている様子である。りとのいたずらっぽい笑い声は、ことこと2人で出かけている時のものと変わらなかった。てっきりことこは、りとがまりの態度にイライラしているのだとばかり思っていたが、どうやら本当に疲れているだけだったようだ。

それなら、なおさらまりと一緒にこのラーメンを楽しみたかった、とことこは残念がった。りととことこが何度も一緒に行った店なのに、まりだけが仲間外れというのは少し寂しい。今日のラーメン店のことだけではなく、ことこは一人だけ知らないことがあるのを嫌がっていた。

「でも、せっかくおいしいラーメンだから、まりちゃんにも知ってほしかったな~……なんて」

「ん? まりがラーメン用の服の時にまた来るから大丈夫だよ。でも、今度は3人で行こうね」

「あ……そっか。そうだよね! うん、楽しみ!」

りとがまりをのけ者にするつもりがないのが分かって、ことこはやっと胸を撫で下ろす。口数の少ないりとは誤解されやすいタイプではあるのだが、もう10年の付き合いともなれば、ことこもりとの気持ちをだいたい理解できるつもりである。しかし、まりに関することになると、今でもその態度がどうも分からないのだった。イライラしているように見えるのに、まりの好きなところを語ってみせたり。静かにしていると思ったら、急にまりに詰め寄ってみたり。

りとが日記でも読ませてくれたらいいのにな、なんて思いながら、ことこは到着したばかりのどんぶりからゆっくりとスープをすすった。

国道51号

「ラーメンは断るのに、モゲットは食べるんだ。素敵なご令嬢だね」

「人に見られなきゃいいの。こんな可愛い服でどんぶりから麺をすするなんてありえないわ。スープも跳ねちゃうし」

「でも、下妻物語みたいでいいんじゃないかな?」

「全然違うわよ。あら、一緒に観たことあったかしら?」

「うん! 前に1回だけ」

ラーメンを食べ終えた2人が車に戻ってから、まりの主張でことこと席を入れ替えることになった。この先はナビがほとんど必要ないくらい分かりやすく、必要な指示は後ろから出せるから大丈夫だよ、とことこも賛成したのだ。

助手席の方が広いと信じて移動したまりだったが、既に後部座席の方が広かったと後悔している。もともと2人分の席を一人で使っていたわけなので当然だが、隣の芝生は青く見えるものだ。りとがシフトレバーに手を伸ばすと肘が脇腹に当たりそうになって、座席の狭さを嫌でも意識してしまう。

しかし、乗り込んでから3時間以上の付き合いになるせいか、この狭さにもある種の愛着が湧いてきたらしい。視界がシートに圧迫される後部座席よりも景色はよく、国道沿いに広がる鬱蒼とした新緑が左右にぐんぐん流れていくのを感じて、まりは不思議な高揚感を覚えていた。

まりはコンビニで買ったサーモンナゲットの期間限定「特製モゲットしょうが味」の最後の1個を食べ終えて、いつも愛飲しているシリカ水で口を潤した。魚肉と大豆たんぱくをうまみ調味料で繋いだホットスナックの定番商品はいかにもジャンクな味で、原料に関する妙な都市伝説や「食べるな」系新書の常連である。まりはモゲットが6個入りだった頃からの愛好家で、限定フレーバーが出るたびに欠かさず入手しているほどなので、それらの噂を気にしている様子はない。

「さて、着いたよ。思ったより早かったね」

「りとちゃん、運転お疲れさま! 花火の準備は私に任せてね」

りとはビーチに併設された高台の駐車場をぐるりと周ってから、浜辺がよく見える隅の方に車を停めた。真夏なら1回2000円でも入庫待ちで列をなすような好立地の駐車場だが、今日のようなシーズンオフの平日は無料開放されていても車はほとんど入っていない。

エンジンを止めて車を降りると、よく晴れた日差しに暖められた初夏の空気がどっしりと3人の身体を包み込む。まりはエアコンの効いた車内では出番がなかったハンディファンを首に提げて、レインボーに光る羽根をくるくると回しながらわずかな涼を取り始めた。時刻は既に16時を回っていて、淡く光る空は少しずつ夕暮れに向かう準備を始めている。

ことこは荷室に詰め込んだ荷物をパズルのように取り出して、徳用花火バッグ、バケツとろうそく、ロングライター、お手製のフィルターガラスが入ったケースをリュックにまとめた。今日は風が弱いので、除煙フィルターが性能を発揮する理想的な環境である。

りとはライターとタバコだけをポケットに入れて、2人を待たずに裸足で砂浜に降りていった。それから「まり! ことこ! 砂が気持ちいいよー!」と上に向かって手を振る。「りとちゃん、ビーチサンダルあるよー」とリュックを背負ったことこも砂浜への階段を駆け下りて、柔らくて温かい砂を踏みしめた。

まりもそんな2人の後ろでハンディファンの風に一通り満足したようで、白い厚底のショートブーティでアスファルトを何度かこつこつと鳴らしてから、水色の薄いオーガンジーに包まれたフリルサンダルに履き替えた。それから、ゆっくりと階段を下りて2人の元にたどり着くと、海辺の開放感を味わうように大きく背伸びする。

「やっと着いたわね。狭い車って身体を縮めなきゃいけないから、肩が凝っちゃいそう」

「まりは身長が大きいからね。帰りは後ろに座ったら? ナビも苦手なんだし」

「あら、私にも道案内くらいできるわよ。りとがせっかちなだけじゃない」

「まりが私の運転についてこれないだけじゃん。卒業旅行のこと、もう忘れたの?」

「なによ! とにかく、帰りも助手席がいいわ。私、りとの運転は好きだもの」

「……あっそ」

「ま、まぁまぁ、2人とも。まだ明るいし、ちょっと砂浜でも歩こうよ」

ことこが2人の間に割って入って手を握る。一段小さいことこが真ん中に立つと、砂浜に映る影はまるで親子のようだ。まりが企画のアイデアを話したり、ことこが発電所の夜景について解説したり、りとがビーチに似合うタバコについて語ったりしながら、少しずつ日が暮れていった。


「あ、あ……落ちちゃったわ。また私の負けね」

「えへへ。揺れを先端に伝えないためのコツがあるんだ~」

3人で囲んだ最後の線香花火は、りとが早々に脱落した後に、まりとことこの静かな戦いを経てぎりぎりでことこが火玉を守り抜いた。たくさんあった徳用花火はまり 監督 の下で半分ほどが企画の撮影に使われてから、残りはそれぞれ自由に花火を楽しんで、今ちょうど使い切ったというわけだ。3人が立つ砂浜は夜暗を取り戻して、消えかけたろうそくの炎だけが3人の顔を照らしている。

「帰る前に、ちょっとタバコ吸ってきてもいい?」

答えを待たずに砂浜の闇に消えたりとの姿が見えなくなって、しばらくすると赤い炎がちらちらと明滅し始める。3人の中でタバコを吸うのはりとだけで、まりが服に匂いがつくのを嫌がるので、近くでは吸わない約束になっていた。ことこはりとの喫煙する姿が好きだったし、りとのタバコの匂いなら気にならなかったので、シャンブルの喫煙所ではりととことこが一緒にいる姿を見かけることも多い。

ろうそくに顔を近づけるようにしゃがみ込むことこに合わせて、まりも隣に腰を落とした。ここからはしばらく2人だけの時間である。

「まりちゃん、今日は誘ってくれてありがとね。私もみんなとで出会ってから10年だし、何かしたいと思ってたの」

「でしょ? PARKの企画はもちろんだけど、やっぱり私たちのお祝いもしないとね」

「PARKのアニバイベント、りとちゃんはあんまり来てくれないもんね」

「そうね。りと、ライブで話すのが苦手だからって、タバコ屋さんのバイトで埋めちゃうんだもの」

PARKの周年記念イベントでは、毎回新しいグッズやクリエイターとの交流企画を打ち出していて、その告知をInstagramのライブで行うのが定番である。しかし、カメラに向かって明るく楽しくプレゼンするなんて性に合わないりとは、叔父のゴールデンウィークの予定にかこつけてタバコ屋に逃げ込むのだった。そのせいで、告知ライブはまりとことこの2人が担当するのがお決まりになっていた。

「今年はりとちゃんもイベントに来てほしいなぁ」

「ことこが泣いてお願いしたら、きっと来てくれるわよ」

「そ、そうかなぁ……私の涙で?」

「そうよ。ことこって、人たらしなところがあるのよね」

泣き落としを持ち出すような機会はこれまでなかったが、感情の起伏が激しいまりならまだしも、りとには通用しないだろうなとことこは思った。昔、何かのきっかけでことこが泣き出してしまったとき、りとは慌てずにことこを優しいハグで落ち着かせてくれたからだ。

とはいえ、性格も好みも違うこの3人がPARKという場所で10年も活動し続けられたのは、ことこの明るくて人懐っこい性格のおかげと言っても過言ではない。PARKの設立初期、ことこが来るまでの数週間はりととまりの2人で運営を担当していたが、細かい方針の違いでよく言い争っていた。だからこそ、空中分解を恐れたオーナーが急いでことこの採用を決めたのであろう。

「……あのね、まりちゃん。今日のお昼のことなんだけど」

「あなたたちが行ったラーメン屋さん? それがどうかしたの?」

「絶対行かないーって言ってたけど、おいしいラーメン、本当に興味ない?」

おそるおそる話を切り出したことこは、バケツに入りきらずに落ちていた花火の燃えがらを拾って、ろうそくの足下の砂をぐりぐりと弄んだ。砂のさくさくした感触が手に伝わって、浜辺に広がる沈黙の隙間を埋めていく。

「あら、絶対なんて言ってないわよ。ただ、ちょっとタイミングが悪かっただけで……そう、タイミングの問題よ」

「それでね、だから、その……りとちゃんにまた今度行きたい、って伝えて欲しいんだけど、だめ?」

「りとに謝れってってこと? いやよ。なんで私がそんなこと言わなきゃいけないの?」

「で、でも……せっかく3人で遊びに来たのに、一緒にご飯も食べられなかったから、せめてちゃんとお話ししてほしくて……う、うっ……」

「ちょ、ちょっと……急にどうしたのよ? 泣かないでよ、ことこ。分かったわ。りとが戻ってきたら、ちゃんと言うから!」

ことこが声を震わせながら膝に顔をうずめるのを見て、まりは思わず立ち上がって慌てた様子でそう口走った。

「……よかった! まりちゃん、ありがと!」

「ことこ、泣いてたんじゃ……もう、やったわね!」

しかし、まりの言葉を聞いてぱっと顔を上げたことこの目には、涙は一つも浮かんでいない。ことこがまりの言うとおり 泣いてお願い してみせたのだ。普段なら簡単に見分けられるような嘘泣きのはずだが、夜に紛れそうな暗いろうそくの光では分からなかったらしい。

涙を武器にするなんて、ずるいわ――と自分の発言を棚に上げたまりの抗議が飛び出るよりも先に、タバコを吸い終えたりとが戻ってきた。

「ことこ、まり、お待たせ。何の話してたの?」

「さっきのラーメン屋さんの話だよ! ね、まりちゃん?」

「そ、そうね。ねぇ……りと? お昼は怒って悪かったわね。えぇと、その……また今度、行ってあげても、いいわ」

「当たり前じゃん。モゲットなんかより100倍おいしいから、楽しみにしてて」

「……はぁ? モゲットがまずいって言うつもり? せっかく謝ったのに、なによ! モゲットは限定フレーバーだって全部おいし……いや、たまに外れはあるけど……とにかく! そのセリフ、食べに行くまでよ~く覚えておくわ」

「えへへ、よかった! 片付けは終わったから、もう車に戻れるよ」

残りわずかなろうそくを水で消火してバケツの中へ。ことこは照明をハイパワーLED懐中電灯に切り替えて、周囲に忘れ物がないかを改めて確認した。夜空に向かってサーチライトのように照らすと、溶け残った花火の煙が何本か絡みつく。

3人は駐車場に戻る階段を上っていたが、その中程でことこの隣を歩いていたりとが急に立ち止まる。それに合わせて足を止めたことこが少しふらついたのは、花火の燃え殻を水と一緒に固めてビニールをかけたバケツが重たかったからだ。

「ことこ、帰りの運転代わってもらってもいい? 少し疲れちゃって」

「うん、分かった! 私はまだまだ元気だから、大丈夫だよ」

「あら、帰りはことこが運転するの? ことこの運転って、なんだか丁寧すぎて眠くなるのよね」

それから数歩遅れて後ろから追いついたまりが、ことこの隣に立って残念そうにそう告げる。交通法規を遵守したことこの運転は加減速もなめらかで乗り心地はとてもよいはずなのだが、今のまりにはりとのような走り屋が魅力的に映っているらしい。とはいえ「鬼の峠攻め」をもう一度体験すれば、すぐにまりの三半規管が音を上げて意見が正反対に変わるはずだ。

「じゃあ、ちょっとだけスピード出そうかな? 私、教習所のドライブシミュレーターで200キロ出したけど満点だったんだ~」

「あ、もしかして『アウトバーン伝説』? ことこ、あれで出禁になったよね」

ことこがりとと一緒に通っていた教習所のドライブシミュレーターは比較的旧型で、テスト用のオーバードライブモード「アウトバーン」の起動コマンドが簡単に入力できるのはよく知られていた。ことこはりとに褒められたくて200km/hのモードで完璧な運転をこなしてみせたが、結局そのセッションは不合格扱いになった上に、「チート行為禁止」の掲示が貼り出されたのだ。しばらくことこだけドライブシミュレーターの使用を禁じられたのは、恥ずかしい思い出である。

「ことこ、もちろん冗談よね?」

「当たり前だよ! 夜の道路は危険がいっぱいなんだから」

「ふふっ。私はことこの運転なら、トンネル壁走りでも付き合うよ」

「りとちゃん……ゲームじゃないんだから、もう」

残りの階段を3人の早さでゆっくり進んでいく。10年後も20年後も、こうして3人で変わらずに並んで歩いていきたい。2人の横顔を眺めながら、ことこはそんなことを思うのだった。

PARK(後日)

「どうして、花火より発電所の写真が伸びてるのよ!」

楽しい花火旅行から数日。PARKのバックヤードから突然響いたのはまりのわめき声だった。どうやら、花火で夏を先取りするというしっかり考え抜いた企画の投稿よりも、帰り道で撮ったアドリブの夜景写真の方が注目を集めてしまったらしい。

もちろん、花火の写真が全く見向きされないわけではなかったし、「いつも素敵ですね!」「私も花火したいな」「3人の線香花火が集まってるの、何?」といった既存のフォロワーからのコメントの数は、花火の投稿の方が多い。発電所の煙突写真は、工場夜景という大きな文脈から広く浅く注目されていたにすぎないのだが、今のまりの目にはもはや数字しか見えていなかった。

「ま、まぁまぁ……フォロワーはちゃんと増えてるから、いいんじゃない? 私は、まりちゃんの花火写真の方が好きだよ!」

「中途半端な慰めなんていらないわ……私はいいねの怪物……承認欲求の魔物なのよ……」

まりの声を聞いてバックヤードに戻ってきたりとは、机に突っ伏してぶつぶつと呟いているまりの姿を見て「どういう状況?」と笑いをこらえることしかできない。ことこは自分のスマホで投稿を見せて手短に説明するが、りとは「いや、だからって……ふふっ」ととうとう我慢できずに笑い始めてしまった。

りとの笑い声は耳に入っていないようで、アプリを覗き込みながらしばらくうなっていたまりだったが、その声が止んだかと思うと急に立ち上がって壁のカレンダーを指さした。

「決めた! 次は工場夜景を撮りに行くわよ! そんなに夜景が見たいなら、見せてあげるわ」

りとはまた面倒なことになりそうだと思いつつ、工場夜景ならツーショットセルフィーの細かい演技指導が飛ばないと予想して「いいね。行こうよ」と戦略的な賛成に回る。ことこはもちろん無条件の大賛成で、タブレットで日本地図に工場夜景の名所リストをプロットしながら、新たな企画の準備を始めるのだった。

こうしてまた、PARKはいつも通りの11年目を過ごしていくのだろう。


EXTRA: ITEMS

改造スクーター
りとが愛用している125ccのヤマハ製中古スクーター。ことこが随所に改造を施しているので、2人乗りでも加減速がキビキビしていて走りやすい。スピードメーターが振り切れるほど性能が高く、りとが密かに港湾道路で400mスプリントを繰り返していたとき、メーターを壊してことこに叱られたことがある。
「あの」チェキ
手でハートを作ってウィンクするメイド服姿のまりと、そのとき来店したりとが写った伝説級のツーショットチェキ。池袋のメイドカフェで使っていた源氏名「シャル」のサイン入りである。各所に点在するりとの宝箱のどこかに保管してあるはずだが、少なくともスクーターのメットインでは見つかっていない。
徳用花火バッグ
ディスカウントショップの処分セールで購入した大量の花火セット。円筒形の丈夫なビニールバッグにこれでもかというほどの手持ち花火と噴き出し花火が詰められている。本当は去年の夏の終わりに遊ぶはずだったが、まりに急用が入ったせいで予定が立ち消えになり、ことこが半年以上保管することになった。

  1. https://www.crunchyroll.com/comics/manga/park-harajuku-crisis-team/volumes 

  2. https://urahara.party/ 

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