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煙突

/* この作品はautomationに収録されています。 */


「洗濯物をとりこみたい人生だった」

「あら、急にどうしたんですか?」

はぁ、と芝居ががって溜息をつくA子を見て、B子がくすくすと笑った。

「すぐに雨が降るわ。また、服がだめになっちゃう」

A子が指差す煙突は天高く、ずっと空の向こうでもくもくと黒い煙を吐き出している。青い空はずっと不気味に濁ったままで、たとえその向こうに何があっても私には分からないだろう。雲ひとつない暗い快晴は心まで息苦しくする。

「雨が終わったら、新しい服を探さないといけませんね」

「まぁ、気分転換にはなるかしら」

黒い煙が出た次の日は、辺り一面肉の焦げた嫌な臭いがするから嫌いだ。何日かそれが続いて、とうとう吐き出されるのが白い煙になって、最後には煙突の呼吸がすっかり止まる。その間はずっと汚れた雨が降り続けて、外に干していた服はもちろん、屋根や窓、植物も土も全部同じ色に塗りつぶされていく。乾いた汚泥はそこらじゅうで舞い上がって、呼吸に混じってまた人を傷つけるのだ。

大煙突は二百メートルあるのだと、B子が前に言っていた。図書館で読んだのだという。私たちが生まれるずっと前からそこにあって、私たちが死んでもそこにあり続けるのだ。永遠の経済成長の象徴であったあの建築物は、不滅ゆえにそこに縛り付けられ、いつの間にか滅びゆく街のプロセスに組み入れられていた。

煤煙は徐々に空気と混ざって見えなくなるけれど、決して消えることはない。風の吹かないこの街で、煤も煙も、空気にこびりついていく。

小さい頃は巨大なものが好きだった。天にそびえる大煙突を見上げられるこの公園で、声を張り上げて騒いでいたのをよく覚えている。

天国の空には、きっと透き通るような青の水彩が引いてあるのだと思う。そうでないと、目が覚めてからどこにいるのか分からなくて困ってしまうから。

「また、狭い図書館暮らしの始まりね」

急に立ち上がると、ぱんぱんになったリュックが少し身体を揺らしてから、足元で枯れ葉が乾いた音を立てた。泥と一緒にぱらぱらと砕け散った葉が、私の足に煽られてふわりと舞い上がる。私は思わず口に手を当てて、B子もそれに倣って制服の袖を口元に当てた。

「A子さんと狭い部屋で眠るの、私は好きですよ」

ぼんやりと大煙突の方に目を遣って、雨が降るのは嫌ですけど、と続ける。横顔が少し楽しげに見えた。

「そんな話、してないわ」

「A子さんはお嫌ですか? 私と眠るのは」

「そうね、まだ——」

まだ、二人とも生きてるんだなって、本当に心の底から実感する。そう口に出すと、自分が弱くなってしまったように思えた。B子の熱を感じて、匂いを感じて、私よりもゆるやかな呼吸に合わせて優しく息をすると、いつもよりもよく眠れる。

保存料がたくさん入った味気ない缶詰と白飯を食べていても、地下から見つけ出した瓶詰めの水を飲んでいても、生きた心地がしないのだ。明日もこうして歩くことができるだろうかと、何も見つからずに動けなくなってしまうのではないかと、恐ろしくなる。

「私たちは、死にませんよ。絶対に」

B子が立ち上がって、私たちはまた口を押さえる。この一瞬の動きにはもはや意味などなかったが、そうするのが二人の秘密の合図になっていた。

「そろそろ帰りましょう。食料は十分に集まりましたし、これならしばらくこもっていられますよ」


街を複数の——おそらくは数十体の——アンドロイドが巡回している。それらが街に転がる死体を回収し、焼却炉へ集めて定期的に火葬していると聞く。その度に大煙突から煙が吹き上がり、あぁまた誰かが死んだのだと分かった。とうの昔に撤退した化学工場の簡素な焼却炉を、そのまま火葬場に転用して多くの死体を詰め込んでいるから、なかなか温度が上がらなくて辺りは数日の間ずっと異様な臭いに包まれる。

彼女らは十代前半の少女を模して作られているらしい。年端も行かぬ少女を死体回収の手伝いに出す親はそう多くないだろうから、すぐにそれが感情のないロボットなのだと分かる。表情一つ変えない娘たちに看取られて燃やされるさまを見て、誰かが理想郷と言った。識別子の前に「理想郷」を冠してそれを呼ぶのだ。呼ばれるたびに、彼女らの眼はそこにあるのが命ある肉体かどうかを確かめる。

魂の抜けた肉体を放っておく以上の不衛生はない。街のシステムは公衆衛生上の観点においては、実に正しい判断をした。ただ、肉体を燃やし尽くしても毒が消えないとは誰も思わなかっただけだ。

死体を燃やすたびにばたりばたりと人が倒れ、新たな死体が生まれるたびに燃やされていく。イレギュラーな事態にもアンドロイドたちは落ち着いて、いつもと変わらず死体を回収し続けた。楽しげに皆で労働歌を歌っていたという噂も聞く。

彼女たちはずっと正常に動いていて、むしろ異常なのは生き残っている私の方なのだ。


A子と手を繋いで帰るときはいつも、A子の手が熱いのか、私の手が熱いのか分からなくなる。頬が熱いのはB子自身のせいだと思い知らされるけれど、顔や額もくっつけてずっとキスしていれば、何もかも一つになってしまうだろうなと思った。

「A子ちゃん。どうしていつも手を繋いで帰るんですか?」

晴れた秋の空はずっと向こうに泳いでいけそうなほどに澄んでいて、夕陽の光は世界中にどこまでも届いていくんだと実感する。

「秋だし、寒いから。それじゃあ、だめかしら?」

「では、どうして夏にも手を繋ぐんですか?」

……暖かいのが好きなのよ」

何も言わなくても全部私が分かっているのだと、きっとA子は思っている。本当の私はそんなに強くないのに。そうやって寄りかかられるのは、心地良いけれど反対に私の心をきゅっときつく苦しめていた。

「いつも、そう言っていますね」

「だって、いつもそう訊かれるもの」

友達だから、恋人だから。A子はそんなこと、一言も言ってくれない。彼女の手は私を縛り付けて離すまいとするけれど、A子はそれだけで満足しているのだ。

「ねぇ、B子。手を繋ぐのに、ユニークな理由がいるの? いつも同じ理由じゃ、だめ?」

「せっかく四季がある街に生まれたんですよ? せめて、ちょっとくらい、変わってもいいと思うんです」

変わってほしい、とは言えなかった。私の言葉でA子を縛り付けたくはなかったから。私はただ、彼女に好きだと言ってほしいだけなのに。

「別に私は、あなたと手を繋いでいなくたって——」

そう言いながら、A子は私から手を離そうとする。私はすかさずその手を捕まえて、きゅっと強く握った。隣で驚いた表情をしているA子に上目遣いで笑いかけると、彼女は照れたようにして下を向く。

今度はA子の手のほうが熱くなっているのをはっきり感じて、ちょっとだけ嬉しくなった。

「離しちゃだめですよ、A子ちゃん。暖かいのは、私だって好きなんですから」

A子の手を引きながら、私はかさりと真っ赤な紅葉を踏みしめた。上からもはらはらと、枝から離れた色とりどりの葉がやってきて、通学路を彩っていく。こうしていつしか冬が来て、また春が来る。およそ永遠とは対極にあるその景色を見ながら、私は永遠を祈っていた。


夜になると雨が一層ひどくなり、窓にどろどろとした雫が叩きつけられる。

管理者を失った建物は急激に荒れ果て、雨漏りが酷くなるところも多い。天井に出来た黒い染みが徐々に広がって、そこに穴が開く。そうなると、もはやそこで安心して眠ることはできない。私の家もB子の家も、すっかり壊れてしまった。

その運命は堅牢に造られたこの図書館も例外ではなく、もう何回か雨が降ったらこの部屋にも黒い刺客がやってきてしまうだろう。街にあるB子との思い出が、ぼろぼろになった建物と一緒に全て壊れていくのだ。図書館はB子の特段のお気に入りで、だから最後まで守っていたかった。

白い光を放つLEDのランタンを掲げながら、閉架書庫の扉を引くと、ぎぎぃという音が響いて一瞬びくりとする。書庫の鍵は持っていなかったけど、いつの間にか錠のほうが壊れていた。私はそれを新たな根城の発見としか感じなかったけど、きっとB子は、壊れゆく図書館をまざまざと見せつけられて嫌な顔をしていたのだろうと思う。

この街から誰もいなくなっても、私たちが去ったとしても、大量にある本がここに確かに文化があったと証してくれるのだと、錠の壊れた書庫を見つけた時にB子がそう言った。この図書館は無くならないのだと、口に出して自信を持とうとしていた。

冷たい毛布を二人で被って、今日は寒いねと言いながらもう一枚毛布を足す。手を繋ぎ、身体を当てると少しずつ暖まってきて、生の実感が幾分か強くなる。

打ちっぱなしの書庫の壁は、冷たさまでがむき出しになっていた。身体をよじる度に背中からひんやりとしたものが伝わってきて、それを感じる度にB子にまた暖められたくなる。

「ねぇ、B子。私が死んだらどうする?」

彼女の身体がぴくり、と動いて止まり、それからB子は何も言わずにランタンを消した。急に視界が奪われて、手と耳の感覚が鋭敏になる。

ぎゅっ、と手が強く握られて、彼女の手が冷えているのが分かる。A子が少し力を緩めると、B子はそれを補うように彼女の手を優しく包み込んだ。

冷たくなっていくB子の手のひらと、いつもより少しだけ早い息遣いを感じながら、徐々に目が慣れていく。

「私も、A子さんと一緒に燃やされたくなると思います」

こちらを向いたB子は、暗がりに隠れていつもよりその不安を顕にしているように見えた。

「あんまり、そういうことを口に出しちゃいけません」

……えぇ、ごめんなさい。雨のせいかしら」

A子が少し不安そうに笑うのを見て、B子が隠そうとしていた暗い気持ちが溢れ出しそうになる。彼女はそれを押しとどめようと指を滑らせて、きゅっと固く絡ませた。はっとした顔でこちらを見るA子に、B子は満足そうに微笑みかける。

「A子さんは、私が死んだらどうするんですか?」

「ふふっ。B子も、訊いちゃうのね」

「そんな風に思い詰めた顔をしていたら、私だって気になっちゃいますよ」

B子は、私と一緒に燃やされたいと言った。彼女は私が感情のないアンドロイドに連れて行かれて、モノみたいに焼却炉に投げ入れられるのを見て、どう思うのだろう。

「どうしても死ぬのなら、私があなたを燃やしてあげる」

私は、B子をあの冷血なアンドロイドたちに引き渡したくはない。もしその時が来たら、百合の花が敷き詰められた棺桶に、私の手で彼女を優しく抱き入れてあげる。私の涙よりもずっと熱い炎が、綺麗なB子を包んですっかりかき消してしまうのだ。

「A子さんに看取ってもらえるのなら、安心ですね」

「でも、私たちは死んだりしないわ。この地獄が終わるまで、終わってからも、ちゃんと二人で生きていくの」

私はB子の言葉を代弁した気になって、そうよね、と確かめると、彼女はしっかりと私の目を見て頷いた。

「手を繋いで綺麗な景色を見ながら帰るんです。絶対に」

B子はそう言って眼を閉じると、直に落ち着いた寝息を立て始める。A子もそれを見て、呼吸を合わせながらゆっくりと瞼を下ろした。

「おやすみ、B子。……好き、よ」

天国の空には、きっと透き通るような青の水彩が引いてあるのだと思う。そうでないと、目が覚めてから隣にいるのが誰なのか分からなくなってしまうから。

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