2月15日のCOMITIA151で変天美音Ⅰという音声作品付き短編集を出した。音声作品はカセットテープに収録されていて、提供されている音声ファイルもここから直接録音したものである。
そもそも、①「変天美音」という名前が「変美」と「天音」の組み合わせになっていること、②「天音」が私の名前「かたぎりあまね」を表していること、③「変美」が「変幻美少女ぶっくす。」あるいは旧称の「変態美少女ふぃろそふぃ。」の略であることに気付いている人はどれくらいいるだろう?
変天美音という名前の由来はまさに上記の通りである。2025年からかたぎりあまねが変幻美少女ぶっくす。で発行し続ける個人誌のタイトルだ。たぶん年に1~2回くらい、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ……とナンバリングを増やしつつ出していくことになるだろう。ローマ数字は字数が大きくなる印象はあるが、仮にこれから毎年2冊ずつ10年間出し続けたとしても(もう40歳だ!)2文字で済む。
さて、変天美音の目的について現時点で考えていることを書き残しておく。今後このシリーズを続けていくにあたって自分のスタート地点を忘れないようにするためだ。
まず、変天美音シリーズはあまねけ!の掲載作品を紙媒体に起こすことを主な目的に据えている。書き下ろし作品も載せているが、このページ数は全体の50%を超えてはならない。今後中編~長編の作品を書くことがあれば、そのタイトルで個別に出すことになるだろう。過去のものでいえばストロベリィドールとかしあわせガイドラインがそうだ。「りりよる」シリーズに取り組み始めてからはこういう単一作品のタイトルはまだ出ていない。
変天美音シリーズにあまねけ!の作品を載せるということは、バックライトで目が疲れずにおはなしを読める媒体を所有できるということだ。もともとあまねけ!自体は誰でもコピーしたりホスティングしやすい簡単な静的ファイルの塊で提供されているが、 ama.ne.jp
というドメインはそうではない。10年後にこのURLがオンラインカジノのクッションページになっていても、あなたが持つ本にギラギラした広告が出ることは絶対にない。あまねけ!のDockerイメージやZIPアーカイブは私以外があまねけ!を所有する手段であって、変天美音シリーズはそれらの選択肢の一つになる。
そして、変天美音シリーズは根本的に紙の文庫本で出すことに意味を持たせる。ただ紙に文字を印刷して検索性を下げただけの紙束を配るのではなく、ふつうの文庫本と同じようにカバー(ジャケットとも呼ばれるカラー印刷のもの)を掛けたり帯を付けたりするし、頒布の時はふつうの書店と同じようにブックカバー(官能小説などにつける日本に独特なクラフト紙のもの)を掛けて輪ゴムで巻いて手渡した。いずれも、物理的な本の存在感を持たせるための取り組みである。
だから、りりよるシリーズでやってきたA5版2段組の形式は使わないし、PDF版の積極的な無料配布は行わない。今までA5版2段組の本ばかり出してきたけど、おはなしを気軽に読むにはページが大きくて視線移動が多すぎる気がする。手元で同じような組版のユリイカを見返してみても、やはり余白やフォントサイズの問題ではなさそうだ。文庫版の配置には少し苦戦したものの、A5版2段組のテンプレートに今回使った文庫版の設定をマージしたので、これからはあまり困らないと思う。
PDFの無料配布も基本的にはやらない。多くの作品はあまねけ!の縦書きモードで読めるし、ブラウザで読みにくければPDFだって読みにくいはずだ。それに、紙の文庫本として所有してもらう目的に逆行している。だから、あくまで物理版のおまけとしてPDFやEPUBを渡すという方針を続けようと思う。
逆に言えば、今回のように音声作品を収録したカセットテープを同梱するのはあくまで おまけ だ。物理的なプレゼンスを高める演出にはなりうるけれど、カセットテープを売ること自体は目的ではない。おまけということなら、次は8センチCDなんて付けたら面白そうだ。あえて挙げるとすればISBNを刷っていないのはわずかな懸念で、それでもあまり優先度は高くない気がする。表4のバーコードの有無にかかわらず、これからも装丁や心地よい組版にこだわるという点は変わらない。
AIの性能が高まるにつれ、こうした文章を自分の思考の速度でチマチマ書き出していくことに大きな意味はなくなっていくだろう。それでも、私の書いたおはなしを読むのは人間なのだから、まだこれからのやり方を考えたって遅くない気がする。
COMITIA151で配布した「えらべる!既刊セット」購入者向けのペーパー(特殊な盆栽の取り扱いについての2人が同人誌即売会に参加する極掌編です)も読んでみてね。