1~107
/* この作品は「ふしぎ探検キミ&ユメ ~消えた人形事件~」を元にしたファン・フィクションです。作品の公式設定を追加または削除したり、置き換えたりするものではありません。 */
108
きみの名前は、
本が好きで、遊ぶことも好き、元気が取り柄の、ごく普通の四年生だ。
さて、町のあちこちで人形がひとりでに姿を消してしまった「消えた人形事件」が解決してから1か月くらいが経った。
あの事件は、駅前広場のからくり仕かけ時計にある人形の城で起きていたんだ。そこでは、人形たちの無念さや悲しみから生まれた〈人形の王〉が、捨てられた人形たちを集めて〈人形の王国〉を作ろうとしていた。でも、きみが〈人形の王〉を説得したおかげで〈人形の王国〉と人間の世界が共存できるようになって、町は平和を取り戻した。
あれから、きみが解決しなきゃならない事件はまだ起こっていない。きみと一緒に「ふしぎ探検団」として事件を解決した神さまの「ユメ」は、今もきみの部屋に居座ったままだ。ユメの力でしゃべるようになったきみのスマホ「ツクポ」も、ふしぎなことが起こらないせいで少し退屈そうに見える。いや、事件なんて起こらない方がいいんだけど。
(PDF版で遊ぶなら、ゲームブックをダウンロードして印刷しよう)
(このまま遊ぶなら、ほかの章を読まないようにして、110へ進もう)
109
ナミさんはきみの返事を聞いて「ありがとう、キミちゃん。嬉しいわ」と微笑んだ。それから、部屋の隅に置かれていた三脚をベッドのそばに立てて、撮影の準備を始めた。
「じゃあ、まずは仰向けに寝てね。両手は横に置いて、リラックス。私が直接動かしてポーズを変えるから、自分では動いちゃダメよ」
きみはナミさんに言われた通り、ベッドの真ん中に寝そべった。ふかふかの枕が柔らかい。ナミさんがきみの右手を少し頭の方に持ち上げるのに合わせて、きみは右腕の力を抜く。「痛くない?」と尋ねられたきみは、人目を盗んで夜に動き出す人形になったつもりで、とても小さくゆっくりと頷いた。
きみが頷くのを確認したナミさんは、持ち上げたきみの手の指先を包み込むようにきゅっと丸めた。そして、左腕も同じように優しい手つきで包み込む。自分の身体なのに、きみは両腕にかかった力を自由に押し戻せなくなっていく気がした。でも、腕から力が抜けてだらんと落ちてしまうわけでもない。ナミさんがきみの身体に直接与えた指示を、きみの身体は忠実に守ろうとしている。
そして、きみのポーズを一通り整えたナミさんは、カシャッと一枚目の写真を撮った。自分で動かせなくなった両腕を写真に収められると、きみはなんだか恥ずかしいような、怖いような気分になる。でも、優しいナミさんになら、きみの身体を任せてしまってもきっと大丈夫。それに、人形を操るのだってよく慣れているはずだ。きみは張り詰めていた気持ちを追い出すように、ゆっくりと息を吐いた。
それからナミさんは、きみの左足をちょっとだけ曲げて、またカシャッ。左足を戻したら、右足も同じような動きを繰り返す。ストップモーション・アニメーションなら、今はきっときみはベッドの上で歩いているはずなのに、ナミさんに触られたところからどんどん自分の意思が抜けていく。きみはいつの間にか、その感覚が心地よくなっていた。
(120へ)
110
「あら、人形になる夢を見るの? 私も小さい頃に見たことがあるわ。とってもすてきねえ」
きみは、「消えた人形事件」の調査中に出会った人形アニメ作家のナミさんの洋館にいる。
町の平和とは裏腹に、きみは最近ふしぎな夢を見るようになっていた。きみが〈人形の王〉を説得するのに失敗して、小さな身体のまま人形になってしまう夢だ。でも、〈人形の王国〉には学校も宿題もないし、ずっとゴロゴロしていても怒られない。そんな楽な生活に身を任せているうちに、きみは自分が人間なのも忘れてしまって……いつもそこで目が覚める。
このふしぎな夢を見た後は、きみはしばらく手足が動かなくなってしまう。もしこのままたくさんの人形が押し寄せて〈人形の王国〉に連れ去られたら、抵抗できないまま人形に変えられてしまうかもしれない。そう思うと、きみは少し怖かった。
きみはユメにそのことを話したけど、ただの夢の話だからとまともに取り合ってくれなかった。ツクポもやはり事件は何も起こっていないと言っているし、やっぱりきみの〈人形の王国〉の記憶が形を変えて夢に出てきただけかもしれない。
それで、きみはナミさんに自分が見ている夢について話すことにした。ナミさんは前に夢占いを勉強していたことがあるらしい。本棚から月や星座が描かれた綺麗な本を何冊か取り出して、夢に人形が出てくる意味について教えてくれた。
「えーと……でも、人形になる夢って、あまりいい意味じゃないわね」
ナミさんは本に書かれた夢の解説をいくつか読み上げてくれた。自分が操られているような感覚や、感情を出せなくなっているとか、強いプレッシャーを感じているとか、そんな意味があるらしい。どれもきみの気持ちをぴったり言い当てているようには思えないけど、少しだけ思い当たることがあった。それは、ユメのことだ。
神通力を使い果たしたユメは、一週間くらいは何もせずゴロゴロと横になっていたけど、力が回復してからはそれも飽きてきたらしい。おやつや漫画を欲しがったり、ツクポに話し相手になってもらうくらいはいつものことだけど、最近は部屋で宿題をしているきみの邪魔までしてくるようになっていた。
今日だって、きみの宿題なんておかまいなしで話しかけてくるユメから逃げて、この人形館までやってきたのだ。きみはユメに「そんなに退屈ならお社に帰ってよ」とでも言い返したくなったけど、そういうわけにもいかない。神さまにあんまり悪口を言うと罰が当たりそうだし、ユメの力に助けられたのも一度や二度ではなかったからだ。ひょっとすると、これがきみが感じている強いプレッシャーってことなのかもしれない。
「その気持ちにちゃんと向き合えば、きっと解決するわ。リラックスしてね、キミちゃん」
(111へ)
111
人形館に来たきみは、やっとのことで今日の宿題を終わらせた。ふと、壁にかかったレトロな振り子時計を見上げると、すっかり夕方になっている。人形館の部屋は、飾られた人形が日に焼けないように昼でもしっかりと遮光のカーテンが引かれているので、時計を見るまで気付かなかったようだ。
カーテンの隙間から外を覗くと、もう空は夕暮れを深く飲み込んで暗くなっていた。住宅地の外れにあるこの洋館の周囲は、通学路に比べてとても街灯が少ない。家まではほんの10分ほどの距離でも、ふつうの四年生がこの暗い中を歩いて帰るのはちょっと危険かもしれない。前に夜中の12時の公園に行ったことはあるけど、あれだって人形の謎を追うために夢中でやったことで、本当は危ない行動なのだ。
どうしよう、と思ってきみが外を見つめていると、ちょうど別の部屋で人形のお手入れをしていたナミさんが戻ってきた。
「ねえ、キミちゃん。そろそろお家に帰らなくても大丈夫かしら」
カーテンを閉じて振り向くと、ナミさんは少し申し訳なさそうにしていた。たぶん、ナミさんも作業に夢中できみが何時に帰るか尋ねるのを忘れていたのだろう。きみは心配ごとをずばり言い当てられたような気がして、悲しくもないのに急に涙がこみ上げてきた。
きみは慌てて涙を拭く。ナミさんは、きみが泣いていたことには気付いていないみたいだ。
「外も暗くなっちゃったし、お家まで送ってあげましょうか?」
そう言われたきみは、さっきまで窓の隙間から見ていた洋館の暗い庭のことを思い出す。人形館の庭はよく手入れされていて、昼のうちはこぢんまりとした静かなイングリッシュガーデンという印象だった。しかし、今は暗がりで揺れる草花や、つるバラが巻き付いた鈍い輝きを放つロートアイアンのアーチから、なんだか不気味な雰囲気が漂っている。
いつもなら、あれだけふしぎな事件を解決したきみにとっては、なんてことない風景のはずだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉もちょうど学校で習ったばかりだった。でも、目尻に残った涙に気持ちが引きずられてしまったせいか、きみはどうにも心細くなってしまう。たとえナミさんと一緒だとしても、今はあの庭を通りたくないと思った。
もしユメがそんなきみの姿を見たら、「キミさんや。気持ちを強く持たねばならぬぞ」なんていばって言うかもしれない。でも、ユメはきみの部屋でまだ昼寝でもしているだろう。人形館にいる間は、いつもはよくしゃべるツクポも黙ったままだった。
さて、きみは……?
112
きみは、もう少しここにいたいとナミさんにお願いした。夜が心細いからと言い出すのは恥ずかしかったから、きみは お姉ちゃん のユメとケンカして飛び出してきたのだと嘘をついた。でも、ユメの方がずっと年上だから、お姉ちゃんと呼んだってまちがいではないはずだ。
「あら、そうなの。じゃあ、今日はここに泊まっていく? でも、お家の人にちゃんとオッケーをもらってからね」
そうして、ナミさんはきみが人形館に泊まってもかまわないと言ってくれた。有名な人形アニメ作家さんの洋館に泊めてもらうと言えば、きっとお母さんもびっくりするはずだ。
きみはユメの顔を思い浮かべる。彼女がきみの部屋に来てからは、毎日顔を合わせることになった変な神さま。でも、ふしぎな事件を解決した今はまるでわがままな妹……いや、お姉ちゃんができたみたいで、ちょっとだけ嫌気が差していた。だから今日くらい、ユメから離れて過ごしたって罰は当たらない。きっとそうだ。
そう自分に言い聞かせたきみは、ツクポでお母さんに電話をかけた。お母さんに自己紹介するナミさんはなんだか緊張していて、後で聞いたら電話が苦手だって言っていた。
(113へ)
113
きみは人形館でお風呂を済ませて、脱衣所でナミさんが用意してくれたパジャマに着替えた。襟元に白いレースとリボンがついていて、さらには袖と裾にフリルがたっぷり盛られた水色のワンピースだ(だからネグリジェと呼ぶ方が正しい)。きみが普段着ているセパレートの薄いパジャマとはちがって、ほんの一歩前に歩くだけでふわふわと裾が揺れる。まるでお姫様になったみたいだ。
さっきまで着ていた服はもう洗濯機の中でぐるぐる回っている。放っておけば1時間くらいで乾くだろう。きみが知らない匂いの柔軟剤で包まれると、どこか遠い場所に来てしまったような気持ちになった。初めて人形館に来たときも、人形を操る 魔女 がいるこのふしぎな洋館が、まるで山奥の古いお城のように見えたものだ。
それにしても、この洋館に暮らしているのはナミさんだけなのに、きみにぴったりサイズのパジャマが置いてあるのはどうしてだろう。服の雰囲気はナミさんが着ているゆったりしたローブに似ているけど、きみより20センチメートルくらい大きい大人のナミさんの身長ではもちろん丈が足りない。
しかし、おろしたての新品というわけでもなさそうで、きみは誰がこのパジャマを着ていたんだろうと首をかしげた。これもナミさんの 魔法 なのだろうか?
着替えを終えて洋館の奥にあるスタジオに向かうと、ナミさんはまだ仕事を続けていた。きみが初めて人形館に来たときと同じように、広いテーブルに置かれた人形の位置を変えたり、手足の向きを細かく調整したりしている。ふしぎな魔法……ストップモーション・アニメーションの撮影だ。
きみはナミさんに後ろからそっと声をかける。女の子の人形をテーブルに置いて振り向いたナミさんは、きみのパジャマ姿をしげしげと見つめた。その目線になんだか緊張したきみは、思わず背筋をぴんと伸ばす。それからナミさんは、嬉しそうに微笑んでこう言った。
「あら、キミちゃん。よく似合ってるわね! 小さくなかった?」
きみは両手を広げて示しながら、ちょうどよいサイズだと答えた。それから、どうして人形館に子供用のパジャマが置いてあるのかを尋ねると、ナミさんは一瞬きょとんとした顔をしてから、「そうよね。確かに、まるで魔法みたいよね」と楽しそうに笑った。
「たまに親戚の子が遊びに来るの。だから、いつ来てもいいように小さなお客さんのパジャマを用意してるのよ」
そう答えたナミさんは、残っていた仕事を終えてからスタジオの片付けを始めた。テーブルの上に薄く透き通った布のカバーを被せたり、スマートフォンを台から下ろしたり、使い終わった小物を棚に戻したりと忙しい。きみもナミさんを手伝おうと辺りを見回すと、作業机近くの床に何枚かメモが落ちているのに気付いた。きっと、ナミさんが撮影中に落としたまま忘れてしまったのだろう。
きみは、ナミさんが落としたメモを5枚ほど拾い集めた。小さなリングノートから切り取られた紙に、鉛筆でイラストや文字が書き留められている。
ふとメモを一枚だけ見てみると、そこにはなぜか、きみが着ているネグリジェと同じような服の人形のラフスケッチが描かれていた。そして、手足に沿って動きを表すような矢印が引かれている。その人形はふかふかのベッドの上に寝そべっているけど、ひょっとして布団の上でダンスでも踊るのだろうか。きみはナミさんがどんなアニメを撮るのか知りたくて、ほかのメモもこっそり読みたくなってきた。
さて、きみは……?
114
きみは迷った末に、ナミさんに家まで送ってもらうようにお願いした。いくら外が怖いからって、いつまでも人形館に居座るわけにはいかない。そろそろ帰らないとお母さんも心配するだろう。それに、子供っぽいわがままでナミさんを困らせたくはなかった。
でも、玄関までの足取りが重い。人形館の暗い庭を映す掃き出し窓の冷たさは、初めて〈人形の王〉の部屋に行ったときのおどろおどろしい雰囲気によく似ていた。きみは身体がぶるっと震えて、靴を履いたままその場に立ち尽くしてしまう。きみの足取りが重くなっているのに気付いて、ナミさんがそっと手を握ってくれた。
きみは大きく深呼吸をしてから、目をつむったまま外へ飛び出す。おそるおそる目を開けると、窓越しに見ていた洋館の庭が目の前に広がっている。風が頬を撫でて、庭に生える草花が昼間と同じように揺れているだけだと気付いた。
すると、なぜかさっきまできみを支配していたはずの不安がするりと消えてしまう。人形館から見ていた景色とはちがって、外に出てみると普段の夜と何も変わらなかったからだ。どうしてこんなのが怖かったんだろう、ときみは思った。
(119へ)
115
きみは、ほかのメモにはどんなことが書いてあるのか気になったけれど、あまりじろじろ見てはいけないと思って、そのままナミさんに渡した。ナミさんはメモを受け取ると、描かれたスケッチに見覚えがあったようで、少し慌てた様子で中身を確認し始めた。
「これ、どこに落ちてたのかしら? なくしたと思ってたから、助かるわ」
きみが作業机の下にあったと伝えると、ナミさんは納得した様子でメモを引き出しにしまった。それから、ほかにもメモが落ちていなかったか尋ねられたので、きみは机の下にはなかったと答える。ナミさんの様子を見るに、まだなくしたままのメモがあるようだ。でも、床にはもう何も落ちていなかった。
スタジオの片付けを再開したナミさんがしばらく棚の整理をしてから、最後にテーブルを照らす強いライトの電源を落とすと、辺りはすっかり薄暗くなった。部屋を照らすのは廊下から漏れる電灯の光だけで、スタジオの奥にある人形たちの棚はもう暗闇に包まれている。
「そろそろ寝室に案内するわね。キミちゃんはいつも何時に寝るの?」
普段なら、きみが寝るにはまだ早い時間だ。でも、慣れない環境に少し疲れてしまったのか、きみはほんのりと眠気に包まれている。家にいるときは、お風呂を済ませたらテレビを見たり図書室で借りた本を読んだりするけど、今日はそういう遊ぶものがないので退屈しているのかもしれない。
そして、きみはナミさんに導かれて寝室に向かった。二人で廊下を歩いていると、突然振り向いたナミさんがきみにこう尋ねる。
「さっきのメモ、もしかして中身を読んだりした?」
ひょっとして、ナミさんの重大な秘密が書かれていたのだろうか。きみは叱られないかちょっとだけ心配しながら、正直に1枚目のメモだけ読んだと伝えた。ベッドの上できみと同じパジャマを着た人形が踊っているスケッチ……なんて一つずつ口に出すと突飛な感じがするけど、まちがってはいない。
「そうそう。そのパジャマをモチーフにしたアニメを作ろうと思ってるのよ。新作のアイデアだから、秘密にしてね」
きみが慌ててうなずくと、ナミさんは安心した様子でまた歩き始めた。じゃあ、残りのメモにはアニメの続きが描かれていたのかもしれない。きみはパジャマの人形がどんな風に活躍するのか、少し気になった。
寝室に着くと、部屋の真ん中に大きなベッドが置かれている。ふかふかの枕の横や、頭の上のベッド棚にも隙間なく人形が並べられていて、ナミさんは本当に人形が好きなのだと改めて実感した。
「枕をもう一つ出しておくわね。キミちゃん、今日はもう寝ちゃう? それとも、もう少しおしゃべりしましょうか?」
さて、きみは……?
116
ナミさんはまだ片付けが終わっていないようで、きみが床の落とし物を集めていることにも気付いていない。きみは、ほかのメモもこっそり読んでみることにした。
2枚目のメモを取り出す。1枚目と同じパジャマを着た人形がベッドの上にいて、しかし今度はたくさんの兵隊人形がベッドを取り囲んでいる。書き込まれた矢印によれば、かれらはパジャマの人形の周りをぐるぐると歩き回っていて、逃げられなくなった彼女は今にも泣き出しそうだ。兵隊人形はこの子を捕らえるために来たのだろうか。
今度は3枚目だ。兵隊人形の様子はさっきと同じだけど、真ん中にいるパジャマの人形の姿がちがっていた。ふつうの女の子と変わらない綺麗な顔だったのに、今は目の部分に四つ穴ボタンが縫い付けられているし、口も刺繍糸のステッチになっていて、一目でぬいぐるみだと分かるようになっている。もともと人形アニメのアイデアだから、登場人物が人形なのは当たり前だ。でも、どうして急に見た目を変えたんだろう……きみは気になった。
ひょっとして、1枚目と2枚目の女の子は本物の人間だったけど、3枚目で人形に変えられてしまうというストーリーなんだろうか。ナミさんのメモだから人形が描かれているというのはかんちがいで、3枚目のぬいぐるみと見比べると普通の子供に見えてくる。まるで、水色のネグリジェを着た今のきみみたいに。人間が人形に変えられる……きみは、自分が最近見る夢によく似ていると思った。
ナミさんは何を考えてこんなメモを残したんだろう。もしかして、ウサギの人形から〈人形の王国〉の秘密を聞いたのかも……と4枚目を見ようとしたところで、きみがメモを読んでいるのに気付いたナミさんが後ろから声をかけた。
「ねえ、キミちゃん。それ、どこにあったの?」
突然の声に驚いたきみは、手に持っていたメモを床に落としてしまう。慌ててメモを拾い集めようとしたけれど、たどたどしく言い訳するのが精一杯で上手く身体が動かない。メモがひらひら舞っていて、どれから手を伸ばせばいいか分からなくなっていた。
「ごめんなさいね。驚かせる気はなかったの」
そう言って、ナミさんが立ち尽くしたきみの代わりにメモを拾い始める。屈んだナミさんはきみと同じ高さの視線で微笑むと、きみを安心させるために優しく頭を撫でてくれた。
「変な夢を見たって言ってたでしょ。何かの役に立たないかと思って、忘れないうちにスケッチしていたのよ」
確かに、ナミさんにはきみが見たふしぎな夢の話をしたばかりだ。彼女はきみの夢に興味を持ってくれていたし、メモを残すのも変じゃない。それなら〈人形の王国〉の秘密を知らなくたって、このお話は書けるだろう。でも、目が覚めたばかりのベッドに人形が押し寄せる想像をして怖がっていることを、きみはナミさんに話したっけ?
「キミちゃん、お片付けを手伝ってくれてありがとう。もう遅いし、今日は寝ましょうね」
きみはナミさんに導かれて寝室に向かう。部屋の真ん中に置かれた大きなベッドの周りには隙間なく人形が並べられている。きみを〈人形の王国〉に連れ去る兵隊人形とちがって、みんな優しそうな表情の人形たちだ。ナミさんは本当に人形が好きなのだと改めて実感した。
(117へ)
117
それからきみは、たくさんの人形たちに囲まれて眠りについた。夢占いで出ていた プレッシャー がなくなったおかげなのか、人形になる夢は見なかった。
そして次の日、いつもより少し早く目覚めたきみは、ナミさんが作ってくれたトーストとスクランブルエッグの朝食を食べてから、家まで送ってもらうことにした。
(119へ)
118
きみは、まだ眠くないのでもう少しナミさんと話したいと言った。
すると、ナミさんは「じゃあ、ちょっと私のお話を聞いてくれる?」とベッドの端に腰かけた。それからナミさんは、棚に置かれたドレス姿のお姫様の人形を手に取って、ふりふりと人形の手を左右に振ってみせる。きみも隣に座って、ナミさんの話を聞くことにした。
「ストップモーション・アニメーションって、動かない人形に命を与えるためのものよね」
そう言って、ナミさんは膝の上の人形をさらにくるりと回した。まるで本当にお姫様が社交ダンスでも踊っているみたいに自然な動きだ。きっと、普段からこうして人形を動かして人形アニメの構想を練っているのだろう。
「じゃあ、本当は自分で動けるはずの人間を使ってストップモーション・アニメーションを撮ったら、もっと斬新な表現ができると思わない?」
きみはナミさんの言葉を聞いて少し驚く。人間ならビデオカメラの前で動いてもらえばいいのに、わざわざ何枚もポーズを変えて写真を撮るなんて、確かに斬新なやり方かもしれない。でも、なんだか心のどこかに妙に引っかかるところがあった。
それから、きみは少し考え込む……そうだ! ナミさんが自分の手足を操って写真を撮る様子を思い浮かべたきみは、その違和感の正体に気付いた。まるできみが人形になってしまったようなその姿は、ナミさんに話したふしぎな夢の内容と同じだ。きみはナミさんに、そのアイデアが自分の見た夢と関係があるのか尋ねた。
「察しがいいわね。キミちゃん、変な夢を見て不安になったって言っていたじゃない?」
ナミさんはきみが夢の話を思い出したのが嬉しかったようで、お姫様の人形をまた左右に揺らしてみせる。きみがこくこく頷くと、ナミさんはさらに言葉を続けた。
「それを自分で再現してみたら、不安が薄れるかもしれないわ。ごっこ遊びのつもりでね」
確かにきみは、あの夢の後で手足が動かなくなったのを思い出すたびに、なんだか重たくて怖い気持ちに包まれるようになっていた。でも、ナミさんが言うみたいに、それを遊びの一つに変えてしまったら、不安なんてどこかへ飛んでいくかもしれない。きみは自分の膝の上に手を置いてどう答えるべきか考えた。
「ちょうど次のアニメにもベッドのシーンがあるから、私も試し撮りしたいのよね。キミちゃんがよければ、少しだけ試してみない?」
次のアニメというのは、たぶんさっきスタジオで拾ったメモのことだろう。どんなアニメができるのか、きみも気になっていた。ナミさんの新作アニメに協力できるというなら、それだけで面白そうだ。きみはナミさんの誘いに応えて「じゃあ、やってみる!」と元気に返した。
(109へ)
119
ナミさんと人形の話をしながら住宅地を歩いていると、すぐに家に着いた。
そして、ナミさんは玄関に出てきたお母さんとしばらく話してから、人形が描かれた角の丸いデザインの名刺を2枚取り出して、きみとお母さんに手渡した。きみとナミさんの出会いは突然だったから、名刺を渡すタイミングがなかったのだろう。お母さんは、近所にある洋館のことは知っていても、それが有名な人形アニメ作家さんの家だとは分からなかったみたいで、とても驚いていた。
「キミちゃん。楽しい話を聞かせてくれてありがとう。また、いつでも来てね」
きみはナミさんに手を振ってから、自分の部屋に戻った。
「遅かったの、キミさん。どこで何をしておったのじゃ?」
てっきり漫画でも読んでゴロゴロしているだろうと思っていたのに、ユメはきみの机に寄りかかって腕を組んでいた。なんだか機嫌が悪いみたいだ。
神通力を持て余して退屈しているところに、きみもツクポも突然いなくなってしまったのだから、そう聞きたくなる気持ちも分かる。でも、きみが家を飛び出して人形館に行ったのはユメがしつこく話しかけてきたからで、いくら神さまだからって許せないこともある。
きみも、宿題を邪魔されたときのことを思い出して「別にどこでもいいでしょ」とぶっきらぼうに返した。でもユメは、きみのちょっとした反撃など全く意に介さない。きみの答えを聞いて「おお、そうかそうか」と大きく頷いた。
「話したくないならそれでもよい。ただ、あの洋館にはもう行かないほうがよいのう。あの者からは何か不穏な力が……まぁよい。神さまからのありがたいお告げじゃ」
そう言い終えると、ユメは読みかけの漫画を抱えていつものクッションの位置に戻った。きみは人形館に行ったなんて言わなかったはずだけど、やっぱり神さまには全部お見通しなのだろう。でも、きみを人形館に行かせまいと、神さまのお告げだなんて大げさに言ってもきみには全然響かない。でも、ユメのそういう子供っぽいところは、なんだか憎めなかった。
(「近所のすてきなお姉さん」エンド)
(その後……122へ)
120
ベッドの上でストップモーション・アニメーションの人形役になったきみは、まるでナミさんに操られているように手足が動かせなくなっていた。きみが人形になってしまうふしぎな夢から目が覚めたときと同じような感覚だけど、きみは張り詰めた不安な気持ちではなく、ナミさんに自分の身体を任せる安心感でいっぱいになっていた。
「次は、ちょっと顔を傾けてみようかしら。もう少し、動きを付けてみましょうね」
人形に話しかけるような口調のナミさんの声が優しく響く。きみはその声に答えて頷くのも忘れて、じっと天井を見つめて彼女が自分を操るのを待っていた。……というより、人形らしくベッドに寝そべり続けた。
ナミさんの手がきみの頬に触れて、そっと頭を動かした。首の向きさえナミさんの言いなりだ。カシャッ。また一枚。視界が移って、天井の代わりにベッドに横たわる人形と目が合う。さっきまでナミさんが膝に抱えていたお姫様だ。真っ黒な目玉ボタンに電灯の光が差して、きらきらとした視線をきみに送っていた。「私もあなたと同じね」と言われているような気がして、きみは目が離せない。
ベッドに転がって動かないお姫様の人形を見ているうちに、きみはまるでその人形が自分と鏡映しになっているような気がし始めた。前に図書室で借りた怪談の本で読んだ、異世界を映すという鏡の話とおんなじだ。ひょっとしたら、きみはどこか別の世界ではもともと人形なのかもしれない……そう思うと、きみはなぜかだんだんお腹の辺りがむずむずしてきた。
うずくような、くすぐったいような、変な感じがして、きみは思わず息を止めてしまう。きみが見ている夢が本当の世界で、実はきみは人形なのかもしれないって思うと、ドキドキが止まらない。ナミさんはそんなきみの様子に気付かないまま、真剣な顔で写真を撮り続けているみたいだ。
ナミさんはきみが足を上げるポーズを撮り終えると、「ちょっと待っててね」と寝室を出ていった。スタジオに何か必要な道具を忘れてきたのかもしれない。スマートフォンはきみに向けられたままだけど、シャッターが切られることはない。きみは急に息を止めていることを思い出して、首を傾けたまま慌てて息を吸って胸を上下させる。きみは人間みたいに身体が動くのがとても恥ずかしい気がした。
「これで面白いシーンになるかも。キミちゃん……あら、寝ちゃったのかしら」
ナミさんが寝室に戻ってきたけど、きみは横を向いているからまだその姿を見ることはできない。ナミさんはそれに気付いて「今は撮ってないから、顔を動かしてもいいのよ」と言ったけど、頑なに動こうとしないきみの様子を見て、ちょっと呆れたように笑いながらきみの顔をそっと正面に戻してくれた。
きみの視界にナミさんの姿が入る。ぼーっとした視線のピントをゆっくり合わせると、手には小さな兵隊の人形が何体か握られているのが分かった。赤と青の制服を着たプラスチックのおもちゃだ。ナミさんはにこにこしながら言った。
「キミちゃん、この兵隊に囲まれて身動きできない感じで撮ってみてもいい?」
きみは少しびっくりした。だって、目が覚めたばかりのベッドに人形が押し寄せる想像をして怖がっていることを、きみはナミさんに話したっけ? でも、小さな兵隊に捕まるのはガリバー旅行記でも読んだことがあったし、案外よくあるアイデアなのかもしれない。
きみがまた小さく頷くのを見て、ナミさんはベッドの周りに兵隊の人形を並べ始めた。きみの腕の横に1体、足元に2体、頭の近くには3体。合わせて6体の兵隊がきみを取り囲んでいる。小さな兵隊たちは、まるでここに閉じ込めて絶対に逃がさないとでもいうように、きみの姿を見下ろしている。ナミさんが「続きを始めるわね」と言って、また写真を撮り始めた。カシャッ、カシャッ。
兵隊の人形に囲まれると、やっぱり夢から覚めたときの〈人形の王国〉に連れ去られるときみたいで、心臓がドキドキしてくる。指先から鼻の先まで、本当なら自由に動かせるのに、逃げたくても逃げられない感じが、やっぱりちょっとだけ怖い。きみは天井の一点を見つめてじっと我慢した。
それから、ナミさんがきみの顔をそっと傾けて、カシャッ。また一枚。今度はお姫様じゃなくて、兵隊の人形がきみを見下ろしている。相手が人間か人形か見極めるような視線を浴びているうちに、きみはまたお腹の辺りがむずむずしてきた。ゆっくり息をしなきゃいけないのに、徐々に呼吸が荒くなる。それに、じわじわと身体の中が熱くなって、なんだかお腹に力が入らなくなってしまう。
「……キミちゃん、なんか無理してない? ちょっと休憩する?」
ナミさんが心配そうにきみを覗き込むけど、人形の視線で頭がいっぱいのきみの耳にはその言葉は届かない。
ナミさんは人形ごっこにのめり込んでいるきみを見かねて、急にきみの脇腹をくすぐってきた。全身から感情が抜けて動けなくなっていたはずのきみもたまらず「ひゃっ!」と大きく叫んで、ベッドの上で跳ねてしまう。動いちゃダメって言われてたのに、我慢できなくて笑いがこみ上げてきた。
「キミちゃん、ごめんね。つい試したくなっちゃって。疲れちゃったみたいだし、ストップモーション・アニメごっこはここまでにしましょ!」
ナミさんもきみにつられて一緒に笑っている。
緊張が解けたきみはまだくすくすと笑いながら、ベッドに寝転がったまま息を整えた。お腹がむずむずした変な感じはいつの間にか飛んでいって、代わりにいっぱい笑った後のすっきりした脱力感が残っている。ナミさんはスマートフォンを置いて、起き上がったきみの横に座った。
「どう? 少しでも、不安な気持ちは薄らいだかしら?」
きみはうなずいて、ちょっと照れながら楽しかったと伝えた。ナミさんは満足そうに笑ってから三脚を片付けて、乱れたベッドを整え直す。普段ならもう寝ている時間を過ぎていて、きみはまた眠気に包まれて始めていた。
自分が人形になるのを想像するとなんだか変な気分になるけど、不安や嫌な感じは消えていたし、きみはナミさんの人形になって暮らすなら悪くないかもしれないなんて思ってしまう。きみはまだ少しだけドキドキが残っている手足の感覚に身を任せながら、ベッドの中で目を閉じた。
(121へ)
121
朝になって、きみは人形館の寝室で目を覚ました。ごっこ遊びの効果があったのか、人形になる夢は見ずに済んだみたいだ。棚には昨夜きみを取り囲んでいた兵隊の人形が並んでいて、自分が人形になりきっていた姿を思い出すと、きみはまた少しドキドキした。
「おはよう、キミちゃん。よく眠れた?」
先に起きて朝食の準備をしていたナミさんが、目を覚ましたきみに気付いて声をかける。きみはぐっすり眠れたと答えて、ナミさんと一緒に食堂に向かった。ナミさんが作ってくれたトーストとスクランブルエッグの朝食は、焼き加減がちょうどよくてとっても美味しい。
きみはトーストをかじりながら、ナミさんに昨日感じたことを話した。また人形ごっこをやってみたいと言うと、ナミさんは少し驚いてみせた。
「あら、それならよかったわ。どういうところが楽しかったの?」
きみは少しだけ迷ってから、ナミさんが触れたところから身体の力が抜けていくのが楽しくて、そして安心したと照れながら伝えた。ナミさんはきみの言葉を聞いて、目を丸くしていたけど、すぐにくすくす笑い出す。
「じゃあ私は、人形だけじゃなくて人間を操る魔女かもしれないわね」
わざとらしく怪しい笑顔を見せたナミさんに、きみもつられて笑ってしまう。ナミさんが魔女だとしても、こんな優しい人なら怖くないと、きみは思った。
「キミちゃんがそんなに楽しんでくれたなら、よかったわ。またやりましょうね。次は一緒にアニメを作ってみましょ」
朝ごはんが終わると、ナミさんはきみを玄関まで見送りに来てくれた。外はもうすっかり明るくなっている。人形館の庭も静かな朝の景色のまま。きみはナミさんに手を振ってから、家に帰る道を歩き始めた。
兵隊の人形に囲まれたときに感じたドキドキも、ナミさんにきみの身体を任せた安心感も、なんだか遠い夢みたいだ。今はこの気持ちを誰かに話すより、胸にそっとしまっておきたくなって、きみは軽く鼻歌を歌いながら元気な足取りで家に向かっていった。
(「人間を操る魔法のお姉さん」エンド)
(その後……122へ)
122
「キミさんや、何か事件はないかのう」
人形館から戻った後も、ユメは変わらず退屈そうだ。ずっと部屋にいるから、きみが持っているマンガも全部読み終わったみたいだし、誰も姿が見えないユメが一人でテレビを見ていたら、きっとつけっぱなしにしていると思われてお母さんが消してしまうだろう。
それならやっぱりお社に帰ればいいのに、という言葉をぐっとこらえて、きみは今日のおやつのクッキーを半分だけユメに渡した。ユメは「おお、感心感心」なんて嬉しそうに両手にクッキーを持ってから、今度はテーブルに置かれたオレンジジュースのストローに口を伸ばそうとする。クッキーを置いてから手に持って飲めばいいのに。こんなにだらけた神さまはきっとユメだけだ。
「わしの力なら腕の二本や三本くらい生やせるわい。でも、今日は疲れたからこのままじゃ」
ユメがきみの注意に反発してそんなことを言い出した。
手が左右から二本ずつ生えているキツネのお面の神さまなんて、まるでゲームのモンスターみたいだ。たくさんの手にクッキーやコップを持つ、おやつの神さまみたいなユメの姿を想像して、きみは思わず吹き出してしまった。ユメはそれを見て「神さまを笑うなんてなにごとじゃ」とすねた顔をする。きみはひとしきり笑った後に「ごめんごめん」と謝ってから、今日の宿題に取りかかることにした。
「まぁ、キミさんが楽しそうなら、それでよいじゃろう」
ユメはそう呟いてから、両手のクッキーを交互に食べ始める。それか心底幸せそうなゆるんだ表情で「おいしいのう」とニコニコ笑った。
こうしてわがままな神さまのご機嫌を取っておかないと、宿題一つ終わらせるのも難しい。こんなことなら、いっそのこと町がひっくり返るような大事件でも起きてくれたっていいのにな。……いやいや、それは流石にダメでしょ! まるでユメと同じようなことを考え始めたきみは、ぶんぶんと頭を振ってその考えをかき消した。
……でも、事件が起きたらユメに怪しまれずに人形館に通うことができるかもしれないし、それはそれで悪くないかも。
きみはナミさんと過ごしたすてきな時間のことを思い出して、また人形館に行きたくなった。今度はクッキーでも焼いて持っていくといいかもしれない。そういえば、ジンジャーマンクッキーを作ったときの型がまだ残っていたはずだ。
(今回のふしぎ探検「人形を操る魔女事件」……無事解決?)
(もう一度遊ぶなら、110へ戻ろう)