ヒューマナイザー意味ないですよーを書いてから3ヶ月ほどが経ちました。
この記事で注目していたのは、「AIが書いた文章を人間らしく書き換える」という目的そのもので、ヒューマナイザー自体はAIらしい文章を人間らしい文章に変換する理想的なオラクルを仮定していました。さらに、ある文章に対する一次元的な人間らしさが定まるという仮定さえ疑っていません。AIの文章をヒューマナイザーに通して人間のそれであると偽ることには価値がない、という説明が主な目的だったからです。
しかし、実際に人間が自分で書く文章は特有の興味、リズム、言葉選びが曖昧に混ざり合った表現そのものであり、特定のアルゴリズムでトークンの列を選ぶだけのAIが、常にその出力を模倣できるとは限りません。そして、ある文章を読んだときに感じるいわゆる「人間らしさ」も、その文章のみから安定して導き出せる指標ではないのです。
では、ヒューマナイザーはどんな変換規則を仮定して、どういう指標を最適化しようとしているのか? その疑問に答えるために、前回の抽象的な目的論をベースにして、より具体的なAI出力に関する問題意識や、そこから生まれたヒューマナイザー実装について掘り下げてみましょう。すると「AI臭さを取り除く」という目的から導ける無意味さとは異なる理由で「ヒューマナイザー意味ないですよー」と言えるはずです。
なお、AI臭を取り除くこうしたツールやAgent Skillsについて、日本語圏で「ヒューマナイザー」と呼ぶのはあまり一般的ではありません。日本語圏におけるヒューマナイザーとして注目を集めるnatural-japaneseやyomiyasuなどを見ると、「分かりやすく」「読みやすく」あるいは「自然に」と、AI出力が抱えがちな不自然さの緩和を目的に掲げており、「人間らしくする」とはわずかにニュアンスが異なります。しかし、本文ではこれらもまとめてヒューマナイザーと呼ぶことにします。
きみたちの考えるAI臭は……
さて、私たちが「AI臭」を感じる文章について、その構造や言葉選びに基づいて分析した記事は多く見られます。
「AI臭は語彙よりリズムに出る - 自然な日本語を書くAgent Skillと7モデル×406本の実測」は、「文が同じくらいの長さで並ぶこと」「段落構造の揃い方」「AではなくB型の対比の多用」がAI臭の正体であると指摘します。ただし、こうした指標は機械的なもので、「これを避ければ人間らしくなる」というより「AIが書く文章の不自然さはここに出がち」というものです。そのため、この洞察から生まれたnatural-japaneseというスキルは、文章の書き方に関する12の原則を加えることで自然な出力になるよう調整しています。
AIっぽさを抑えて人間寄りにリライトするスキルのhumanizer-jpに同梱されたレポート「日本語AIは、なぜ「AIっぽい」のか — 文体の指紋を測る」でも、AIっぽさは「文のリズムが均一なこと」や「対比や言い換えを多用すること」だと指摘しており、さらに「特定の単語を使うこと」や「ひらがなで平易に説明しようとする傾向」が挙げられています。確かに、SNSでも「効く」「正本」「静かに壊れる」といった表現を嫌う投稿はそう珍しくありません。
「AI-Slopな日本語を構造レベルで読みやすくするSkill『yomiyasu(よみやす)』を作りました」でも同様に、読者の負担になるレトリックとして「中身のない対比の多用」を挙げており、さらに「直訳っぽい言い回し」や「動詞を詰め込んで圧縮した造語」などの癖を読みにくさの特徴だと述べています。文の長さを散らすことを達成指標に入れると不自然な言い切りを生む、という分析を残しているのは、他のヒューマナイザー作者の分析とは異なる点です。また、ここから生まれたスキルyomiyasuは少なくとも初期のリリースでは単語を噛み砕いて説明することを重視しており、humanizer-jpの「平易な説明が多い」という分析とは逆に捉えているというのも面白いです。
stop-ai-slop-jpが解消しようとするAI臭の分析「その文章、AIに書かせただろ」では、「文末の単調さ」「段落の長さの揃い方」「よくある対比や比喩、大げさな表現」といった共通の問題点から、これらより広く「言い切りを避けるチューニング」のような論理展開の流れ、「文章を綴る主体の不在」という文章のテーマ性にまで話を広げています。この問題意識の広さからか、他のスキルのように統計的な指標に頼る方向性は選ばず、「主体性と温度のグラデーションを持つ」とか「対比や項目の列挙を避ける」などの指示を並べるスタイルガイドのような粒度に留まっています。
これらをまとめると、日本語圏においてヒューマナイザーを作る動機は、おおよそ以下のような問題意識を解消するためだと言えそうです。
- 「効く」「正本」「静かに壊れる」といった特有の単語が使われているとAI臭がする
- 太字やダッシュ記号の多用、箇条書きに見出しをつけるなどの特有の装飾にAI臭がする
- 見た目をよくするだけの「AではなくB」といった特有のレトリックを見るとAI臭がする
- 文末の調子、文の長さや段落の構造が揃っていると整いすぎていてなんだかAI臭がする
- 毒にも薬にもならない論調、煮え切らない但し書きに逃げる論理構成を見るとAI臭がする
こう見ると、AI臭の主な原因は文章の表層的な印象あるいは形式的な特徴のように見えます。つまり、AIっぽい語彙を半機械的に置き換え、AIっぽいレトリックを除去して置き換えて、段落の密度を散らせば、すっご~く人間らしい文章のできあがり――だったらよかったですね。
実際のところ、ヒューマナイザーを通してなんとなく文章がよくなったように見えるのは、ヒューマナイザーの指示を尊重したAI自身の働きにすぎませんし、たぶん実際はあなたが感動したほど自然な日本語にもなっていません。このスキル入れたらめっちゃよくなった!という実感は、数行の単純な指示とたいして変わらない可能性が高いです。もし気になるなら、あなたが入れたそのスキル、危険ですよーのABCプロンプトを使ってみてください。
きみたちだって10年前には……
ちょっと話を変えて、そもそもAIっぽい単語や言い回しとは具体的にどういうものか掘り下げてみましょう。AIっぽい単語というのは、たとえば以下のようなものでしたね。
- 静かに壊れる
- 地味に効く
- ほぼほぼ
- 神ってる
- 正本
- 横転
- メロい
- ビジュ
あぁ、すみません。「ほぼほぼ」は2016年の新語大賞、「ビジュ」は2025年の新語大賞でした。他にもいろいろAI由来じゃない単語が混ざっていましたよね。もう一回やります。
- 丁寧に拾う
- 一丁目一番地
- 解像度を上げる
- エモい
また間違えちゃいました! しかも、一丁目一番地なんて昭和すぎる言葉まで。あーごめんなさいごめんなさい。
- チョベリバ
- MK5
……もうやめましょう。単語リストが静かに壊れてるみたいなので。
さて、2016年の新語だった「ほぼほぼ」は「ほぼ」を2回重ねた言葉で、2010年代に入ってから急に定着した言葉のようです。当時こそ、ほぼほぼ若者しか使わない言葉だったようですが、今では砕けた会話なら日常的に使われるようになっています。「横転」や「メロい」はその 女オタク っぽい大げさな口調に抵抗を覚える人もいるでしょうが、既にふつうの言葉として浸透している印象です。逆に「一丁目一番地」なんてタバコ臭い背広を着たおじさんしか言ってませんし、「チョベリバ」はもはや古語と言ってもよいでしょう。
多くの新しい言葉は、急激に広まって定着しきるか、ある程度の抵抗を受けつつもいつの間にか浸透するか、そのまま使われずに廃れるかのいずれかです。新語・流行語大賞に選ばれた段階で既におじさんが使う古い言葉だ、なんて笑われることもありますが、それは流動的な言葉の寿命が1年間という受賞スパンに重なっただけにすぎません。
翻って、最も新しい(!)AIっぽさを感じる単語を見てみましょう。AIによく触れる人の間では「効く」という言葉をとにかく嫌うのがもはや一種のネタになっています。他にも「静かに壊れる」「取りこぼす」「AではなくB」なんて言い回しは、見ただけで頭に血が上ってしまう人さえいるみたいです。どうも彼らにとっては、こうした言い回しそのものがAI臭さの原因であり、より広い文章構造にはあまり目が向かないようです。前述のヒューマナイザー作者が示した分析とも一致しますね。
こうしたAIっぽい単語は、ヒューマナイザー作者の言葉を借りれば「分かりにくく」「読みにくく」「不自然」です。「地味に効く」なんて表現は具体的にどういう効果があるのか曖昧なので分かりにくいとか、無生物主語は日本語として不自然で読みにくいという説明を聞くと、いかにもAIっぽい単語を避けるべき理由を分かった気になれる人もいるでしょう。
じゃあ、「正本」は? 何が曖昧で、何が分かりにくくて、何が不自然なのでしょう? 文脈を踏まえれば「参照すべき正式な情報源」のような意味合いなのは分かりますし、特定の分野ではもともと広く使われていた単語です。まぁ、ソフトウェア開発の現場で使うのは不自然かもしれませんが、言葉の意味は正しいし曖昧でもありませんよね。
ちゃんと「正式な情報源」って書いた方がいい? それがこれまで使われてきた「正しい日本語」だから? なんだか、徐々に若者言葉を嫌う老人に近づいてきましたね! 興奮してきた! じゃあ「神ってるではなく、神がかっている、だろ!」とか「ビジュではなく、ビジュアルだろ!」、あるいは「エモいとか意味が曖昧すぎる!」なんて怒りも沸いてきましたか? やっぱりそうですよね! 明日からは、歴史的仮名遣いを使うべきかもしれません。きっとそれが正しいです。
……なるほど、トークンを選ぶ道具にすぎないAIの出力を調整するのと、人間から出た言葉を修正させるのでは、行為の重みが全然違う? 確かにそれもそうですね。でも、そんな感情的になってAIの出力を矯正している様子を見ると、周りのみんなが「これが地味に効く」とか言い始めたら暴力沙汰になっちゃいそうですけど。日本語精神注入棒を振り回したり、「AI臭さは日本語の乱れだ!」なんて叫んだりして!
もちろん、こうした 新しい 言葉に抵抗を持ちやすい老人に向けた文章を書くつもりなら、こうした小手先の s/効く/効果がある/g はまだまだ有効でしょう。でもこれは、ヒューマナイザーが主張するような普遍的な読みやすさの改善とは異なりますよね。職場の先輩との会話で「エモい」と言うと「おいお前! 言語化をサボるなよ」と怒られるから絶対使わないとか、せいぜいそのレベルのことです。
きみたちが文章を読むときは……
はい。ここまでは、ヒューマナイザー作者が課題として挙げていた特定のレトリックや言葉選びの特徴について掘り下げました。しかし、文章とその人間らしさを取り巻く環境はもっとずっと広いものです。私たちが文章を読むとき、そこには大きく分けて4つの構造があります。
- 文章のテキスト情報そのもの
- テーマ・主張・全体の論理展開
- セクションや段落の配置
- 段落内の論理展開
- 文章表現・レトリック・単語選び
- 人間が文章を読むための物理的環境
- 文庫本や新聞、スマホ、電子ペーパーといったメディアの種類
- フォント・文字の大きさ・行間などの配置方法
- 文字色と背景色のコントラスト
- その文章をどこで読むか
- 文章に付与された情報・メタデータ
- どこで知った文章か
- どこで入手した文章か
- 文章の作者・公開時期などのメタデータ
- AI生成を示すメタデータの有無
- 文章を読む人の体調や機嫌
- 文章を読む集中力があるか
- どのような文体に慣れているか
- その文章から得たいものは何か
- その文章をAI出力によるものと疑っているか
いわゆるヒューマナイザーが解決しているのは、せいぜい最も小さい文章表現・レトリック・単語選びまでです。stop-ai-slop-jpがやっとテーマ性や主張の強さに言及しているものの、ヒューマナイザーのスキルとしては単なる指示に留まるものであり、射程範囲とは言えないでしょう。
人間がある文章を読んだとき、それがAIっぽい(あるいは人間っぽい)と感じるかどうか、しかもそのAIっぽさを嫌うべき低品質のシグナルと捉えて避けるかは、いつでも誰に対しても同じように決まるものではありません。ヒューマナイザーがAI臭さを取り除き、AI検出ツールがAI臭さを判定するのは、あくまで文章のテキスト情報そのものであって、非常に狭い原因から生まれるAI臭さしか想定していないということです。
え、そんなわけないって? どんなAI生成文章でも必ず見分けられる? じゃあ、今度はいろいろなシチュエーションを考えてみましょう!
- SNSで影響力のある人が「脆弱性検知システムについて書きました!」というコメントでシェアした技術ブログの新着記事を読むとき
- トレンドで見つけた知らない人のZennの記事を開いて「効いたのは、最初の測定だった」という見出しから読むとき
- フィードリーダーでフォローしている技術ブログの新着通知から開いた記事を読むとき
- 古本屋で知らない技術書を購入して、それが2020年の発行であることを確認してから読むとき
- 「これ、AIに書かせたんだけどけっこう自然じゃない?」と友達から渡されたメモ帳スクショのエッセイを読むとき
- 自分がAIに出力させた技術記事を不自然なところがないかチェックするために読むとき
- AIに出力させた技術記事を「日本語を自然にする」と謳う人気のスキルに通してから読むとき
- SNSで「この記事AI生成だし推敲してないしでやる気感じない」というコメントでシェアされたnoteの記事を読むとき
- 昔から趣味で小説を書いている知り合いが文芸即売会で発行した新刊の文庫本を読むとき
私たちは、文章そのものを取り巻く環境を元にAIっぽさを予想して、その偏見(悪い意味ではありません!)に基づいて文章を読み始めます。これたぶんAIっぽいし情報も薄いな~と思いながら読むと、些細なAI臭が気になって内容も理解できなくなりますし、きっと人間が書いてるだろうな~と信じればちょっとした表現も気にならず集中して読み進められるはずです。
だって、これまであなたの心を動かしたイラストが、全部ちゃんと五本指で描かれていたか覚えていますか? ピカチュウの尻尾の先はどんな色でしたか?
さらに、文章そのものを取り巻く環境が読みやすさに 効く のも難しいところです。先日公開されたwiki-style-articleは、日本語版Wikipediaの記事っぽいスタイルで説明を書き、Wikipediaっぽい見た目のHTMLでまとめるというスキルです。これはWikipediaの文章構造そのものが分かりやすいというだけでなく、Wikipediaで長文を読み慣れた読者にとっておなじみのカラーテーマと目次、表の配置であるという見た目の面も大きいでしょう。
これはWikipediaに限りません。Xっぽいカラーテーマと行間なら読みやすい、往年の匿名掲示板っぽい並びならいくらでも読める、まとめサイトっぽい配置で読むのが好き、やっぱり小説は紙で読まなきゃ……などなど。仮に文章そのものには一切手を加えなくても、人間にとっては読みやすくなったり、読みにくくなったりするのが重要なポイントです。
さらに言えば、こうした読みにくさへの寄与は物理的環境に固有の特徴ですらありません。特に「ヒューマナイザーを通す」とか「日本語が得意と評価されているLLMに書き直させる」という行為自体が、その人に魔法じみた読みやすさを与えることがあります。
自分が生成したAIっぽい文章がいい感じに書き換えられていてすごい。ちょっとAIっぽい言い回しは残ってるけど、こんなによくなるなんて……そう思ったことはありませんか? あるいは、よくなったところはスキルのおかげ、直してくれなかったところはAIの限界……と、特定のヒューマナイザーに過大な信頼を寄せたことは? こうなると、その人にとっては特定のヒューマナイザーを通したという事実そのものが「読みやすさ」の演出に繋がります。
もちろん、こうしたスキルを通じた科学的根拠の薄い 信仰 で文章への集中力を高めるのは必ずしも悪いことではありません。お守りや護符で邪気を払ったり、願掛けで誓いを立てれば実際の行動も変わりうるからです。しかし、その読みやすさが内面から生まれていると気付かないまま友達にパワーストーンを売り付けるのは、やめたほうがよいでしょう。
あなたが昔からの友人たちに縁を切られるところ、見たくはありませんから。
きみたちが文章を書くときは……
そもそも、これらのヒューマナイザーは個人の困りごとや分析から生まれたツールのはずです。しかし、多くのツールは読みやすさや自然さにはおよそ寄与するとは思えない文の長さの調整や単語リストとの照合を繰り返し、新時代の不自然な文体を生み出すに留まっています。
AIに人間っぽい文章を書かせたい!というのは、その直感よりはるかに難しい問題です。AIが持つ日本語出力の癖は、LLMの性能そのものだからです。多くの人は大量の文書を集めて統計的な傾向を比較したかと思うと、あれこれと無意味で有意な差を見つけて、それらを改善するスキルを組み立て始めます。文の長さを散らしなさい、段落の密度を散らしなさい、この言葉は使わないで、ここはもっと噛み砕いて説明して――これらは全て、測定も改善もしやすいとても優秀な指標です。
実際スキルを作ってみると、これだけでは上手くいかないことがすぐに分かります。無理やり直した部分に不自然な表現が入り込み、ちゃんと直してほしい部分は放置されたまま。そのせいで、全体を通して読むとまだなんとなくAIっぽい。しかも、同じような文章を読んでいると、どれが本当によい表現なのかも分からなくなってきます!
この結果を誠実に受け止めて、多くのヒューマナイザー作者は自分が優れていると定義した書きっぷりを独自のルールとして並べていきます。説得力のある展開にして、AIっぽい表現はダメ、できるだけ自然な表現を……これらの曖昧なルールを受け止めるのはAI自身であり、ヒューマナイザーは一切これらの問題を小さく分解したり、簡単な問題に変換したりはしません。
こうした 改善 のループを繰り返した結果、魔法のように見えるヒューマナイザーの内部では、難しい問題をもっと難しくして全部解いてもらおう!という、逆ヴァプニクの原理とでも呼ぶべき事態が平気で放置されています。
ヒューマナイザーの欺瞞めいた魔法が成り立っているのは、ヒューマナイザーを作る人たち、ヒューマナイザーを使う人たちがAIの能力を盲信しているからです。自分よりずっと深く広い調査を桁違いのスピードでこなし、自分よりはるかに早く文章を読んで要約し、自分ができないようなアプリを実装してくれる……じゃあ、人間らしい文章を書くのだって得意だよね?と思うのは当然かもしれません。
でも、実際はそんなことありませんでした。AIが解決したのは、集中力を切らさず作業の幅と深さを広げれば解消する難しさであって、時間をかけても難しい問題はもちろん難しいままです。そもそもあなたが "魔法みたいな" ヒューマナイザーを探し始めた時点で、いかに難しい問題に取り組もうとしているかは十分に分かっていたはずですよね?
もちろん、AIに出力させた文章を公開してはいけないとか、全部人間の手で書くべきだ、というつまらない理想論を展開するつもりはありません。しかし、AI臭さを完全に取り除いて人間らしくするヒューマナイザーは存在しませんし、仮にそういうヒューマナイザーがあったとしても、過去に書いた記事のような理由でAIっぽさを隠す意味は最終的に消え失せるでしょう。どうしてもAIが出力した文章を活用したいなら、以下の原則に注意してください。
- 特定のLLMが出力する日本語の特徴は、全体の論理展開から単語選びまでその全てがAI臭さの特徴になりえます
- 統計的に得られる測定しやすい指標を独自に定義して改善しても、LLMの出力が読みやすくなる保証はありません
- 日本語の自然さや読みやすさに寄与する指標は定義も改善も難しく、たいてい自分で文章を書く方が簡単です
この原則から導けるのは、ヒューマナイザーはせいぜい筆者のわずかなこだわりをAI臭さに混ぜ込むだけで、決して文章を読みやすくも自然にもしないということです。ヒューマナイザーを通してAI臭を隠したつもりにならないと公開に踏み切れない内容や対象なら、やはり自分で書く方が簡単で早いし、長期的にも損をしません。
きみたちに役立つヒューマナイザーは……
ここまで、AI臭さの正体を「言葉選びやレトリックの偏り」や「文や段落の長さの均衡」のせいだと定義して、シンプルな指標の測定や独自の執筆ルールで解消するヒューマナイザーは、読みやすさや自然さという難しい問題に向き合っていないと述べてきました。ヒューマナイザーが注目する局所的で具体的な表現の癖は、言語である以上は流動的で一過性である可能性が高いこと、ヒューマナイザーが読者体験のうち文章そのものにしか働きかけないツールであることからも、人間が感じるAI臭の解消には至っていないと分かります。
では、我々はこれからどのようなヒューマナイザーを使うべきでしょうか? あるいは、ヒューマナイザーそのものを使うべきではないのでしょうか?
多くの場合、ヒューマナイザーを使うメリットはたいして大きくありません。特に、ヒューマナイザーにAI臭を取り除く期待を寄せているなら、少なくとも現状のヒューマナイザーがその願いに応えることはないでしょう。ヒューマナイザーが文章を加工するという原理そのものが、LLM自身の高度な推論と出力の癖に頼っているからです。AIの出力である痕跡を隠したいだけなら、ヒューマナイザーはおそらく役に立ちません。
つまり、あなたが一人で公開前に何度も読み返して、いくら「うんうん、これならちゃんと人間っぽいな!」と感じようとも、それは頭隠して尻隠さずだということです。もし、中立的な立場でAI臭を判定してくれる友達がいるなら、公開前に読んでもらうとよいでしょう。何度も読ませるなら、日本語精神注入棒などで殴って直近の記憶を消しておけばもっと正確になりますね。たぶん何度記憶を消しても、あなたが気にしていた表現やレトリックなんかよりずっと広い、もはや書き直すしかないレベルの不自然さを指摘してくれるはずです。
え、AI出力をチェックしてもらうために友達を殴るのは気が引ける? ではなぜそんな文章をわざわざ公開……まぁ、はい。
それでも、今からあなたがヒューマナイザーを導入するつもりなら、ちょっとした表現の好みを個性として反映する目的で使うことを意識してください。これまで述べてきたとおり、ヒューマナイザーは生ゴミの袋を想像もつかない新技術で無臭にするのではなく、せいぜいゴミ袋に可愛い目と口のシールを貼ったり自分の名前を書いて差別化できるだけです。AIの要約や流し読みする読者が相手ならこれくらいの ごまかし で十分かもしれませんが、真面目な読者ならAI臭がひどくて読む気が失せると怒り、非難してくるかもしれません。でも、その指摘は何一つ間違っていませんよね。
結局のところ、現状のヒューマナイザーはそもそもAI臭を取り除けないのでやっぱり意味ないですよー、ということです。