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感覚単位系・入門

少し前に電車で3駅くらい先にあるカフェに出かけたとき、隣り合った席――隣ではなく、ステンドグラスの間仕切りを挟んだ向こう側で、背中合わせと言った方が近いかもしれない――の5~6人のグループが大騒ぎしていた。私が休日に出かける少し遠くのカフェに求めるものは、ある程度の静けさや穏やかな音楽に包まれた環境であって、もちろん彼らの声は快適な環境とは真逆である。こういった不運はカフェにはつきものだが、せっかくの休日が台無しになるのも惜しいものだ。

これは読書にも集中できないな、と思いながら本を閉じて、いったん彼らの会話が右から左に流れるのに身を任せていると、少しずつ彼らの素性が分かってきた。どうも、彼らはかつて同じ大学に通っていた友達同士で、今日は数年ぶりに再会して思い出話や近況報告に花を咲かせているようだ。確かに、何年も会っていないような友達に話すことはたくさんあるだろうし、6人ならその矢印はおよそ15倍だ。その気持ちは理解できる。あまり気にしても仕方ないか、と思った。

つまりこの時、私は再会を喜ぶ友人たちの声量にある程度の基準を設けたことになる。結局これが久闊を叙する声だから我慢できた、ということだ。さて、私はこの声量の会話をどのレベルで我慢できたと言えるのだろうか? 例えば、この後夜に会う予定の友人に「カフェでプチ同窓会が突然発生してうるさかったんだよね」と話すとして、どのような表現をすれば伝わるだろう。

そんなことを考えつつ、音圧を表す単位 NOFY (ノーフィ)を定義してみた。物理量としては音圧だが、基本的には会話の声量に使った方が分かりやすい。ここで、1NOFYは「1年ぶりの再会だとしたら我慢できる会話の声量」と同等の音圧である。つまり、前述の彼らが大学を去って5年ぶりに再会したと仮定したときに「あまり気にしても仕方ないか」と思えるのであれば、この声量は5NOFYだといえる。これなら、友人に伝えるときも分かりやすそうだ。

人が普通に話している声は60dBくらいで、これが怒鳴り声や深夜のバカ騒ぎになると90dB程度に達するらしい。多少盛り上がった話し声なら、70dB前後といったところだろうか。

一応書いておくと、90dBは60dBに対して1.5倍の音圧を示すのではなく、30dBの差があるので1000倍の音圧を示す1。音圧の線形的な変化を直接取り扱うと非常に広い範囲になって分かりにくいのと、人間の感覚は刺激の対数で近似できる(ウェーバー・フェヒナーの法則)という扱いやすい性質を持っているのでdBが使われているわけだ。

もちろん、人が許せる声量というのは個人差があるし、たとえ同じ人間であっても場所や状況だとかその日の機嫌や体調によって大きく変わる。人間の身体や感覚を元にした単位というのは、かつては主に手足や身長で長さを示す身体尺がメジャーで、こうした五感に基づく単位は初期のスコヴィル値2くらいだろうか。計量方法を形式化したスコヴィル値でさえ、舌が辛み(痛み)に慣れて感覚が変わるという本質的な問題を抱えていたので、技術の進歩で機械的な測定方法に置き換えられた。ただ、NOFYは感覚を示す表現として使うものなので、正確な計量ができないことはあまり問題にならない。

dBはもともと人の感覚に合う単位ではあるが、今聞いている音がどれくらいのdBだと表現するのはちょっと難しい。仮に「少し静かな話し声だから50dBくらいだ」と暗記していて、誰かに50dBという数値を伝えても、あまり役には立たないだろう。dBに言い換えず単に少し静かな話し声だったと伝えればよいのだ。一方で、NOFYは線形でも対数でもない感覚を表す単位であって、この数値なら相手も状況を理解しやすくなる。また、大騒ぎするグループに遭遇した際に「この人たちは何年ぶりに再会したのだろう」とNOFYを 計測 してみると、不運な騒音も少しだけコミカルな光景に思えてくるというのも、副次的なメリットかもしれない。

こういう少し込み入っていて、あまつさえ正確に計量することを目的としていない単位を、 感覚単位 と呼ぶことにしよう。感覚単位を用いると、自分の感覚を元に客観的な現象を具体的に表現できる。豊富な語彙や表現技巧を凝らさなくても、直感的に感覚を共有できるわけだ。このような自分の感覚を数字や尺度として具体的に摺り合わせる仕組みをルールとして実装すれば、itoやウェーブレングスのようなパーティーゲームになる。

昔、大学のサークルで「車なら徒歩で5分くらいの場所」という表現をしたことがあった。これは、車で5分かかる場所でもなければ、徒歩で5分かかる場所でもない。あくまで徒歩で5分くらいの感覚で行ける場所であって、その感覚をそのまま車での移動に載せかえた、ということだ。その時は単位の名前を考えていなかったが、仮に CAWAM (ケイワム)としよう。1CAWAMは「車なら徒歩で1分くらいの場所」となる。ちなみに、今その場所までのルートを計算してみたところ、車では10分くらい、徒歩では90分くらいかかる場所だった。いずれも5分とはかけ離れている。それでも、当時は「確かにそれくらいだね」と共感を得られたものだ。

この感覚単位遊びの難しいところは、単位の名前を考えるセンスを問われる点ももちろんだが、できれば少し込み入った定義であって、なおかつ使いやすい単位として作り込まなければならないということだ。逆に言うと、整数倍して使うしかない線形的な単位や、具体的な数値として表現する意味がない単位を作るべきではない。

例えば、水族館に1人で入ってもよい入場料をベースにした単位 BAY (ベイ)を考えてみる。これは、私が葛西臨海水族園(700円3)には1人で入ったが、八景島シーパラダイスのアクアリゾーツパス(3500円4)は1人の旅行では買う気にならなかった、という体験から考えたものだ。水族館は複数人で行くところだという偏見に基づく定義である点や、年間パスポートを買って何度も水族館に通う人にはなじまないという点を無視しても、BAYには感覚単位としての欠点が2つある。一つはn BAYが単に1BAYのn倍になってしまうこと、そしてもう一つは何らかの金額をBAYで表現しても伝えられる感覚は増えないということだ。おそらく私は800円~900円を1BAYと考えるだろうが、これでは金額を単に850で割っただけの値になるだろう。そして、1万円を11.76BAYと表現しても、「1人で水族館に11回強行くくらいの金額」という意味にしかならない。

もし水族館にちなんだ感覚単位を作るとすれば、水族館のミュージアムショップの広さを表す単位 SASM (サスム)はどうだろうか。ここで、1SASMは「1分間滞在するに足るショップの広さ」である5。一般的なミュージアムショップの広さがどの程度かは資料がなかったが、ふつうのテナントであれば50㎡程度までは小規模店舗、100㎡を超えると中型~大型店舗の扱いになる。そのため、おそらく50㎡~150㎡程度の広さを表すことになるだろう。「先週行った水族館が30SASMのショップだったよ」と言われれば、かなり見どころがあって広かったのだと想像できそうだ。

ただ、滞在時間と敷地面積の関係を考えたとき、地方の家電量販店のように通路がだだっ広くて棚がスカスカなら滞在時間は短くなりそうだとか、くつろぐのが目的のカフェでは広さによらず当然に滞在時間が長くなるとか、必ずしも単純な相関では語りきれない業種もある。しかし、水族館のミュージアムショップに限れば商品の配置や密度は似通ってくるし、店に訪れる状況や目的も似ているので、広さと滞在時間は比較的相関がありそうだ。もちろんあくまで感覚的な定義なので、他にも含めるべき前提は考慮した方がよい。

最近は残暑と秋と冬が交互にやってくるような日が続いていて、20℃を超えたと思ったら次の日には突然15℃まで下がることも珍しくなくなった。これを摂氏で8℃も下がったといえば客観的な変化を示せるが、気温や温度変化の感じ方に感覚単位を使えば、主観的な身体の不調を分かりやすく示せるかもしれない。必要に応じて感覚単位を運用する取り組みは、正確に決まり切った単位の枠に収めて考えるより先に、自分自身の感覚とよく向き合うための第一歩になるだろう。


  1. dBは対数ベースの単位なので、10dB大きくなると10倍になる。1dBでは約1.26倍である。 

  2. 現在はカプサイシン量を線形的に変換したものが使われている。 

  3. 開園時間・休園日・入園料 | 葛西臨海水族園公式サイト - 東京ズーネット 

  4. 料金案内|横浜・八景島シーパラダイス - YOKOHAMA HAKKEIJIMA SEA PARADISE 

  5. 実際に立ち寄ったのか、そこに何分滞在したのか、何を購入したのかを直接示すわけではなく、あくまで広さを自分の感覚で言い換えた表現だということに注意が必要である。 

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