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オーガズム

昔の僕は射精以外の(もっと綺麗な)快感を知っていた。ふとそんなことを思い出す。


中学生の頃だから、随分昔になる。

同じクラスに西田くんという男子がいた。僕より少し背が高く、夏になるたびよく日に焼けていた。勉強は真ん中くらいの成績で、代わりに野球がとても上手かった気がする。とはいえ、僕はスポーツにあまり興味がなかったから、単に彼がクラスで目立っていたのを運動の巧拙と混同しているような気もする。もうよく覚えていない。

彼は小学四年生で精通したとよく仲間内で自慢していた。女子はやだぁと言って笑っていたけど、僕はその真ん中にいる水越さんが彼と付き合っているのを知っていた。西田くんが僕だけにとこっそり彼女との性生活を教えてくれていたからだ。

西田くんは僕のことをひどく気に入ってるみたいだった。僕がいちいち質問攻めにするのを面白がっていたのか、そうでなければ単純に西田くんが馬鹿だったのだと思う。

射精とはどんな感覚なんだろうと考えながら軽く性器をいじると、少しだけふわふわした感覚が身体を走ったものだった。射精を知っている西田くんのリアルな体験談は、そういうプレ自慰の「ネタ」にぴったりだったのだ。

今思い出すと、彼らの性生活は年相応に幼稚だった。西田くんはセックスの極意と称してキスや手の動かし方、腰の振り方、それに避妊具のスマートな買い方まで、時に身振りや手振りを交えて教えてくれた。コンドームを買うのにカッコいいもダサいもあるものかと思いながらも、僕は熱心に彼の話を聞いてみせた。ただの性交の体験談は何度か聞いて飽きてしまったけど、女子の――結局のところは水越さんの――身体について隅から隅まで質問するのはそれなりに楽しかった。

ただ、西田くんは性器の出し入れにしか興味がないようで、関係ない部分(例えば、鎖骨や髪の毛や唇)についてはあんまり詳しくないみたいだった。

おかげで、水越さんにまだ陰毛が生えていないことも僕は知っていた。でも生理はもう来ていた(はずだ)。定期的にセックスのできないタイミングがあって、そういう時に西田くんは僕を家に招いていつもより長く水越さんの話をしていたから。西田くんは体験談を話しながらそわそわとしていたので、そういうことだったんだと思う。

当時の僕は、射精したいとも射精したくないとも思っていなかった。丁寧に言えば、精通に対する当事者意識がなかった。

一方で、クラスの女子に生理が来ているという想像をするのは非常に恐ろしかった。僕は生理が生殖のためのものだと知っていたからだ。精通とは無縁の僕と直交するような身体の変化に、僕だけが取り残されているような、あるいは僕だけが正常であり続けているような焦りを覚えたのかもしれない。


精通したのは中学二年生の終わり頃だった。

あっけなかった。僕は特に前兆もなく夢精した。いつものベッドで、部屋着のシャツとジャージを着て、よれよれのトランクスにだらりと。初めてというのはおおよそこういうもので、奇跡のような初体験はそれだけで奇跡なのだ。母親に見つからないようにティッシュで下着を擦る必死な朝は、僕が期待した奇跡とはかけ離れていた。

そういう平凡な冬の朝に、僕の正常さはあっけなく失われた。夢に見たのは、無駄な体毛一つない水越さんの全裸だった。その頃にはもう水越さんの陰毛は生えそろっていたのかもしれないけど、僕の中の清浄な水越さんに生えかけの無駄毛は必要なかった。

次の日から、僕は西田くんとつるむのをやめた。一度断ってからはもう誘われることはなくなった。

きちんとした自慰を覚えるまでは、知っている射精の手段はセックスか夢精しかなかったから、僕はしばらくの間パンツとパジャマを濡らし続けた。セックスをしてくれる相手がいなかったし、セックスのためだけに女子と交渉する勇気はなかった。

今となっては、西田くんに頼んで水越さんとセックスさせてもらうべきだったとも思う。

西田くんと水越さんはいつの間にか別れていた。迷っているうちに、水越さんとセックスをするチャンスを失ってしまった。


身体は心が無くても射精できるんだろうけど、心は身体が無くても射精できるのだろうか。心が射精する感覚はもう覚えていないけど、少なくとも僕は昔そうしていた気がする。


この前青森の実家に帰った時に、机から大量の写真が出てきた。何だろうと思って広げてみると、つまらない風景や建物の色褪せた写真しか入っていない。思い出してみると、あの頃の僕は父親のカメラを持ち出しては色々と写真を撮っていた気がする。

おそらく、こっちはレンズ付きフィルムで撮ったものだ。

あの頃の僕は、半端に偏った知識のせいで自慰に逃げることができなかった。だから、カメラに自分の欲望をぶつけようとしたのだ。スポーツで性欲を発散する、とかいう記事を斜め読みしたのだろう。清らかに生きれば自慰をしなくて済むんだと、本気で思っていたはずだ。

かつての自慰を思い出しつつ写真を漁る。机の底が近くなり、たくさんの写真の下に古びた茶封筒がしまわれているのに気付いた。

封を開けてみると、裸の水越さんの写真が入っている。

そうだ、忘れていた。中学生の僕は、モデルを目指していた水越さんに声を掛けて、写真の練習を始めたのだ。わざと性欲に近づくことで、性欲を克服しようとしたのだと思う。結局、失敗したけれど。

僕に洋裁の素養があれば、水越さんの服を仕立てられただろう。理想の服を着せることができなかったから、裸の写真を撮っているのだ。僕は水越さんの身体に陰毛が生えていることにリアルな興奮を覚えた。汚い水越さんの前でなら、いくら性欲を吐き出してもいいと思った。自慰を覚えたと自覚したのはこの時だ。

洋服を仕立てられなかったばかりに、僕はどんどん歪んでいった。

水越さんも僕が自慰をする様子を見て、つられて自慰を始めた。顔を真っ赤にして体液を撒き散らす水越さんは、本当に汚かった。現実の水越さんを見るたびに、心にずっと飼っているあの頃の水越さんの綺麗さが神聖化されていく。

今振り返ってみると、不釣り合いなコミュニケーションだったと思う。水越さんは心の中に清純な僕を飼っていなかっただろうから。

ませたヌードの撮影会は、自慰の見せ合いで終始した。

水越さんの身体に触れることはとうとうなかった。写真を撮るという大義を捨てきれなかったからだろう。また、セックスするチャンスを失ってしまったわけだ。写真で自慰することを覚えた僕は、結局惨めな自慰から逃げられなかった。

水越さんは、僕のことが好きだったんだろうか?


射精するたびに、心の隙間から液体が漏れてしまう。漏れ出て空っぽになった部分は、少しずつ精液で埋められていく。


心の隙間がどこかで健康を求めている。身体が健康なだけでは足りないというけれど、どれだけの人が心まで健康でいられるんだろう。

よく寝て、ストレスのない生活を送る。例えば、早く退勤して、野菜を買って家に帰る。ゆったりと夕食を作って、温かいお風呂に入る。ふかふかの布団でぐっすり眠る。そこまでやれば、健康になれるだろうか。

そんなことを考えながら、今日もデスクで野菜ジュースを飲んでいる。野菜を摂った気分になれるし、尖った味もしない。安いし、そこそこお腹も膨れるし。選ぶ理由もないけれど、選ばない理由もない。身体はどんどん重く辛くなっていくのに、心では身体が健康になっていくような気持ちがする。心だってずっと苦しいままなのに。

美味しくもない何かでお腹が膨れるのを良しとするようになった。昔ずっと苦手だったトマトジュースが飲めるようになった。写真を撮ることもなくなった。どんな写真を見ても、撮ってもつまらない。

こうして、僕をまた一つ失ってしまう。美味しいものを食べたいという思いも、美味しいものを買うお金もなくなった。

射精をするたびに、心の隙間が広がっていく。僕はこの先どうなるのだろう。

清浄な水越さんを思い出して、ねばついた心の隙間に映し出す。汚い液体の表面にも、水越さんは綺麗に映っている。心を壊して水越さんがよく映るようにするだけで、少しだけ苦しさが紛れるような気がした。

水越さんが今日も僕を見つめる。くしゃみやせきを誘うみたいに、くすくす笑いながら僕をくすぐる。

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