ミックスサンド・ベイキング

/* この作品はSugar Jellyに収録されています。 */


a

クラゲはふわふわと舞うのです。ふわふわ、ふわふわと。

水中のクラゲはそう大きな声で鳴かないそうですから、やはり私は水槽を前にしてもクラゲの鳴き声に気付けなかったのです。あるいは、水槽のクラゲはもうずっと前から弱っていたのかもしれません。

クラゲは原宿でも、ふわふわと飛ぶのでしょうか?きっと、寒い冬の夜をゆっくり散歩すれば見られるのでしょう。澄んだ海の中で。今のバブルドームは嫌というほど濁っていて、この澱んだ空気はクラゲには――当然、彼女にも――暑すぎますから。

間違ってクラゲに触れてしまったら、簡単に壊れてしまうのです。死んだら幼生に還るクラゲもいると聞いたことがありますが、そういうクラゲはいつ生きていて、いつ死ぬのでしょうか。

生き返ったクラゲは、本当に死ぬ前と同じなのでしょうか。私には分かりません。だって、砂糖漬けになったクラゲは、もうクラゲではないのですから。

b

最近妙な夢を見る。りとの夢だ。

その夢には色んな場所が出てくるけれど、なぜかいつも、そこでりととお酒を飲んでいる。二人きりの夜で、他には誰もいない。ことこさえも。

ある時はスケボーのメンテナンスをするのを眺めながら、別の時はソファに座って流行りのホラー映画を観ながら、一緒にお酒を飲む。そう、原宿の外で探検している間に酒盛りなんてのもあったわね。

夢の中のりとはいつもより少し大胆だ。平気な顔で「これ、桜餅みたいな香りのお酒だって」だなんて、強いウォッカを持ってきたりする。お酒に弱い私のことなんてお構いなしに。

そうして、お酒に酔った彼女は私に悪いちょっかいをかけてくる。私の耳に吐息たっぷりの熱い声で囁いたり、私の身体を優しく触って痛めつけるのだ。

私は慣れない快感に身体をくねらせて、それをりとがくすくすと笑う。腕に力を込めてりとから逃げようとするけれど、酔った私では彼女を押し返すことも叶わない。

諦めてりとに身体を任せてしまうと、いつの間にかスケボーもお酒も映画も、私の視界から消えてしまう。そういう「日常」が見えなくなってしまうのが少し怖い。

りとは余裕そうな笑顔で私を好き放題にするし、一方の私はその責めに必死で抵抗しているのを隠せない。そんな風に立場の差を見せつけられるのが、私が必死になってるのを見られるのが、たまらなくイライラした。

夢のことを思い出す度に、私の頬が熱くなる。現実のりとに触れるだけで、少しだけ胸が高鳴る。りとのやわらかい肌の感触や、私の身体を走るピリピリとした刺激、りとが私を見つめる楽しそうな視線。

そういう感覚が全部、夢にしてはやけにリアルで。

「本当に、嫌になるわ」

夢は願望の現れだなんていうけど、あれはきっと嘘ね。私、あんなこと考えていないもの。

それにしても、ことこが一度も出てこないのって、なんだか変ね。ことこと街歩きをした日くらい、夢に出てきたっていいのに。

1

「さて。飾り付け、これくらいでいいかしら?」

PARKを包み込む朝が、いつもと少しだけ違う。まるで明日から夏が始まるような、何かしたくてむずむずしてしまう空気が流れている。

今日はちょうど、春と夏の境目だ。

バブルの中には梅雨がないから、肌寒い春がそのまま暑い夏に移り変わっていく。バブルの外で降る雨は、私をそっと冷やしてくれるのかしら。こんなに蒸し暑いと、何でもいいから浴びたくなってしまう。

「お店がすっかり、クラゲまみれだね」

レジに座ったりとが、改めてフロアをぐるりと見回した。

そう、今週はクラゲフェアなのだ。りとの言うとおり、フロアがたくさんのクラゲグッズで埋め尽くされている。

廃墟で見かけたクラゲの話を聞いたことこは、目を輝かせて図鑑の色々な写真を見せてくれた。聞いてみると、不老不死のクラゲがいるらしくって、一度見てみたかったみたい。りとと二人で見た水槽のクラゲとは、だいぶ形が違うみたいだったけど。

そこからアイデアを得たことこが、「クラゲフェアで大儲け!」作戦を思いついたってわけ。

「最近暑いからね。涼しげな方がいいかな〜なんて」

「見た目が涼しげなのはいいけど、気温の方もちゃんと下げてほしいわね」

初夏の空気はワクワクするけど、こんなに蒸し暑いとほんと嫌になっちゃう。

どうしてバブルドームには、新しくてまともなエアコンが入らないの?ちまちま修理してないで、さっさと交換しちゃえばいいのに!

「エアコンはあんまり切りたくないんだけど、ちょっと電気代と相談しないと……」

そう言ってお金を確認するりと。赤字スレスレなのはみんな分かっていたけど、りとはわざとらしく溜息を吐いて、ふるふると首を振った。

「『電気代フェア』にでも改名したほうがいいかもね」

「じゃあ、電気クラゲも注文すればよかったかな?」

冗談に冗談で答えることこの声が、いつもより楽しそう。

飾り気のない白い壁や棚が、今日は新しい商品と新鮮なデコレーションでいっぱいだ。久しぶりのフロアの模様替えに、みんなが心躍っていた。

コンセプト作り、商品選び、飾り付け……一つのテーマに向かって頑張るの、やっぱり私たちらしいって感じがするわ。もちろん、新しい商品をたくさん並べて、いっぱい儲けられそうだからっていうのもあるけれど。

商品の配置と飾り付けはもう終わっている。細かい調整を済ませば、開店準備完了ってとこね。

「まりの作ったくらげのモビール、やっぱり可愛いね」

りとが頬杖をついたまま天井を見上げた。ぼんやりした視線の先では、PARKオリジナルの特製インテリアがゆらゆらと揺れている。

「そう?リアルさを大事にしながら、オーガンジーでスカートを履かせてみたの」

フロアの真ん中に吊るされたふわふわの傘が、ティアドロップのクリスタルと一緒にきらきらと輝く。サーキュレーターの風がクラゲに当たるたびに、薄いスカートが海の中にいるみたいにゆらめくのだ。

うん。自分でも、とっても綺麗に仕上がったと思ってるわ。細かい作業なら任せておいて。

「うん。すっごく幻想的だよね。やっぱり、まりちゃんにお願いしてよかった」

「あら、嬉しいわね。ありがと、ことこ」

自分が作ったものを褒められるって、やっぱり嬉しい。私ができることは、私がしっかり頑張らないとね。

「ことこの商品選びも、なかなかイケてると思うわ」

「うん。センスいいね。こだわりを感じるよ」

「そうかな?えへへ〜」

実際、ことこに任せた発注はよく整っていた。青を基調とした陳列に黄色や白のグッズが差して、クラゲのイメージとは違ってカラフルに仕上がっている。

ことこがフェアの計画中にずっとコンピュータを叩いていた理由、よく分かった気がするわ。

「私は、これが一番好きかな」

そう言って、りとがレジに並んだクラゲをひょいと一つ手に取った。無色透明のガラスでできたペーパーウェイトの中に、真っ赤なクラゲが閉じ込めてある。

「うん。それオススメなんだ〜。クラゲの部分もガラスで出来てるんだけど、一つ一つの色合いが全然違うの」

ことこが言うには、ガラスの色や温度をわざとばらばらにしているみたいで、それぞれが世界に一つだけのクラゲなんだという。確かに、りとのお気に入りは暗めの赤色でひときわ鈍く輝いていて、あの時の怪物クラゲを思い出させる。

りとは手の中のクラゲをひとしきり眺めた後に、気だるそうに身体を起こして、ことこに向かって腕を伸ばした。

「ことこ、これ貰ってもいい?」

「うん。もちろんいいよ!」

りとは「ありがと、大事にするね」と答えてから、満足げな表情でピンク色の付箋をクラゲの頭に貼り付けた。

小さくて可愛い怪物がクラゲの列に戻されて、ガラスがぶつかる時の小気味いい音がする。自分だけ「売約済」のラベルを貼られて、なんだか誇らしげだ。

「まりちゃんも、欲しいのあったら持っていってね?」

「うーん、そうね……」

話を振られて、棚に置かれた商品を改めて眺めてみる。

とりあえず手に取ったのは、水で満たされた不思議な置物だ。透明な筒の中に、細い脚がたくさん生えたプラスチックのおもちゃが入っている。ちょうど、手に収まるコップくらいの大きさだ。

筒の上の黒い蓋には「クラゲチューブ」と書かれていて、封入されているのはクラゲのイミテーションらしい。

ミニチュア水族館のつもり?

持ち上げて、裏に付いていたスイッチに触れると、底から照らされる光に合わせてビニールのチューブが水中で踊りだした。変な動きねぇ。

「ふわふわっていうより、ぐねぐねって感じね」

「電池で動くクラゲだって。本物を飼うのは難しいらしいから、気分だけでも楽しめるように作られたみたい」

「クラゲらしさがなくって、これはイマイチね」

「あれ〜?そうかなぁ……?」

小さな水槽を泳ぎ回る七色のチューブは、初めて見たクラゲの繊細さが懐かしくなるほどに荒々しい。もし水族館が残っていたら、今すぐ本物のクラゲを見に行きたいくらいだわ。

ずっと北の方には、クラゲをたくさん展示している水族館があったみたい。私たちが行くまで、残っていたらいいんだけど。

「ほかにもいいもの、いっぱいあるから!ほら、ね?」

そう言って、ことこは私の背中をぐいぐいと押してフロアを回らせようとする。お気に入りのグッズを見つけてもらえないのは、商品担当のプライドが許さないらしい。

「わ、分かったわよ。もうちょっと見てみるから」

食器やハンカチは、グッズとしては定番ね。水色や黄色の素材にデフォルメしたクラゲの絵がプリントしてあって、ポップな感じ。

でも、どのクラゲにもくりくりとした黒い目と口角の上がった線が描き込まれていて、ちょっと慣れない。りとと見たクラゲは、もっと寡黙で寂しげな感じだったから。

「――こういうの、子供向けなのかしら?」

「水族館から出てきたグッズは、子供向けが多いみたい」

大昔にクラゲブームがあったらしくて、供給過剰の新古品もかなり多い。いつもは状態のよくない中古品ばかり入荷してる(拾ってきてるとも言うわね)から、フロアの雰囲気もいつもとだいぶ違う。

「赤いくらげにも、顔が付いてたら面白かったかも」

「あら。りとったら、ホラー映画の観すぎじゃない?」

あの子犬サイズの怪物にしっかり顔が付いていて、目線がぶつかっちゃったりなんてしたら……ちょっとゾッとしちゃう。

「まりも、ホラー映画好きでしょ?」

「りとが観たいっていうから付き合ってるのよ?」

「ふふっ、そうだね。ありがと、まり」

映画の観すぎっていうよりは、ホラーゲームのやりすぎなのかもしれないけど。ホラーゲームだと、どうしてもりとの銃さばきに勝てなくって――

「――ちょ、ちょっとりとちゃん!」

と、会話を遮るようにして、ことこがりとに声を掛けた。レジはそんなに離れていないのに、フロア中に響くような大声だ。急ぎの用事でもあるのかしら。

「どうしたのよ、ことこ。そんなに大きな声で」

「まだ朝食前なのに、元気だね」

「あっ……いや、違うの!ちょっと、思い出したから」

我に返ったことこが、私とりとの視線を集めているのに気付いて急に慌てだす。身振り手振りで何かを伝えようとしているけど、動きが素早すぎて伝わらないところ、いつものことこって感じね。

「ごめんね。えっと、もう開店直前なんだけど、まだ準備ができてないっていうか、お願いしたいことがあってね、それで、それで……」

「ことこ、落ち着いて」

「あ……うん。看板を、外に置いてきてほしいの」

「「……看板?」」

お願い自体は変なことじゃないのに、その脈絡のなさに混乱してしまう。りとも私と同じことを感じていたらしく、すっきりしない顔で立ち上がった。

「ことこ、これだよね?」

りとが私の視線と同じ向きに指をさす。

看板というのは、クラゲフェアの開催を伝える立て看板のことだろう。

黒いパネルに水色のペンでふわふわと踊るクラゲは、りとが描いたものだ。その横に「クラゲフェアです ナウ・オン・セール!」と細めのゴシックで記されている。最近は、妙なウェイトのダサい日本語フォントが流行っているらしい。

「そ、そう!花壇の水やりもお願いしたいな、なんて」

ことこの様子がどこかおかしい。

こういう時のことこって、だいたい一人で変なことを考えているのよね。看板の話自体にはおかしなところがないのに、どこか不自然に見えた。

「あー……そっか。うん、分かった。行ってくるね」

たぶん、りともこの不自然さを感じているけれど、それをわざわざ追及するつもりもないのだろう。りとったら、ことこには甘いんだから。

レジを離れたりとは、腰の高さほどのアルミフレームを両手に抱えて外に向かう。それに合わせるようにして、ことこがレジをすり抜けてバックヤードに引っ込んだ。


実は、あのパネルの裏には劇画チックな赤いくらげの絵が描いてある。まるでお化け屋敷のような立て看板は、夏の訪れも相まって納涼感こそよく出ているけど、残念ながらクラゲフェアの宣伝には使えない。前面に押し出されたホラー要素は、ギャップというにはあまりにイメージと離れすぎていた。

完成した看板を見て、フェアのコンセプトと違うという話をしたらそこでまたひと悶着。りとは「ホラーな感じが出ないじゃん」と不満げだったけど、コンセプト重視のことこの意見も頼ってなんとか押し切ったのだ。

「りとって、絵は上手なんだけど、たまに理解に苦しむわ」

少しして、商品でいっぱいの陳列かごを抱えて戻ってきたことこに、私は独り言のように呼びかけた。

「そう?りとちゃんの絵、私は好きだよ」

すっかり落ち着いた様子のことこが、かごを置いてレジ越しに言葉を返す。

「あら、もちろん私だって嫌いじゃないわ」

面と向かうと上手に言えないけど、りとの技量に文句があるわけではなかった。実際、ボツにしてしまった看板だってすごい上手だったし。店内に立てられた りとお手製 ポップは、文句のない出来栄えだ。

好意を伝えたり、褒めたりするのって、私には少し難しい。いつだって、皮肉と言い訳でぐるぐる巻きにしてぶつけてしまうから。

「じゃあ、りとちゃんに好きって伝えないとね?」

「まぁ、気が向いたら、ね」

好きだなんてはっきり伝えるのを想像すると、夢のことを妙に意識してしまう。ありもしないことを思い出して、勝手に顔が熱くなってしまう。

りとがとんたんと階段を降りる音が少しずつ遠くなる。ふいと窓に視線を向けると、示し合わせたように足音が聞こえなくなった。

「まりちゃん、大丈夫?なんだか顔が赤く――」

「ね、ねぇ!ことこ、何を持ってきたの?」

心配そうな表情をかき消すようにして、今度は私が話を遮る。ことこはきょとんとした後に、笑顔でスカートのポケットに手を伸ばした。

「私のおすすめ商品『クラゲチップス』だよ!」

ことこがポケットからがさがさと取り出したのは、透明な欠片がたくさん入った小袋だ。レジに置かれた白いかごいっぱいに並べられた商品と――既に開封されていることを除けば――同じものらしい。

袋に「バジルペッパー味」とプリントされているのを見ると、「クラゲチップス」の名の通り、お菓子であることが分かる。

「食べるの?クラゲを?」

「うん!昔は食用にしてたみたいだよ。あ、もちろんこれは合成たんぱくなんだけどね。加工に秘密があって、サクサクとコリコリが両方楽しめるの」

わざわざクラゲを食べようだなんて、合成肉みたいに食糧危機から生まれたアイデアなのかしら。

合成肉も初めはゲテモノ扱いだったらしいけど、私たちが生まれた頃には安くて美味しいという触れ込みで生活によく馴染んでいた。ハムやソーセージ、妙に四角いお肉、大げさな「天然」ラベルのないものは、たいてい合成肉を使っている。

ただし、お魚は養殖技術と品種改良のおかげで合成するより安上がりになるらしく、ほとんどが「天然モノ」のままだ。

聞き慣れないマイナーな動物のお肉も、出回っているのはほとんどが合成たんぱくから作られた「復刻版」らしい。このクラゲもそうなのだろう。

「これ、どうやって食べるの?」

「普通のお菓子だから、そのまま食べられるよ」

ことこがクラゲチップスの袋を開けて、クラゲの欠片を口へ放り込んだ。少し遅れて、バジルの香りがふわっと漂ってくる。

食品コーナーに並んでいるのは、オレンジ味、ぶどう味、バジルペッパー味、青のり味……あら、バナナパクチー味もあるじゃない!

「えーと、これは何の味?」

「こっちは塩漬けだよ。水で戻してサラダのトッピングにしてもいいし……そうだ!カップ麺の海苔の代わりに使ったらどうかなぁ?」

「ことこって、ほんとに食いしんぼさんよね」

「えへへ、お腹空いちゃって。まりちゃんも食べてみる?」

そう言って、ことこはかごから新しい袋を取り上げた。

「お砂糖に漬けてあるの。ちょっと甘すぎるかもしれないけど、こっちもそのまま食べてOKだよ」

クラゲは見た目の通り水分がたくさん入ってるから、普通は塩漬けにするみたい。ただのチップスは湿気を吸いやすいから、料理に使うなら塩漬け、お菓子なら砂糖漬けがおすすめらしい。

ピンク色のチェック模様で飾られた袋には、カラフルなゼリーやアイスクリームの写真が添えられている。涼しげなお菓子に使うといいみたいね。

「大丈夫。成分的にも問題ないみたいだから」

「そ。ならいいわ」

袋をじっくり眺めていたせいで、疑っているように見えたらしい。わざわざそんなことを言われると、逆に怪しく見えちゃうけど。

ま、たっぷりの調味液でごまかした激安合成肉よりはましよね。私はぴりぴりと開けたチャックの隙間から、一番小さな欠片を口に放り込んだ。

「あ……シナモンが効いてて美味しい」

舌に当たるざらざらとした砂糖の感覚が心地いい。じわりと甘さが走って、噛むたびに歯ごたえと香辛料の刺激がついてくる。

クラゲそのものにはあんまり特徴的な風味はないけれど、独特の食感はおすすめポイントね。

合成肉のケミカルな風味を消すために、強めのスパイスで香りをまぶすのはよくあるやり方だ。一緒について回る薄い磯の香りは、たぶん後から付けられたものだろう。

「ただいま。水やりも終わったよ」

「あ、りとちゃん。おかえり〜」

コリコリとした食感を楽しんでいると、準備を終えて戻ってきたりとがひょこっと顔を出す。

「外から見ていくと、やっぱり少し印象違うね」

改めてゆっくりと店内を眺めながら戻ってくるりとを見て、レジに収まっていたことこが立ち上がろうとする。りとは私の隣で「いいよ、座ってて」と言いながら、そのまま壁に寄りかかった。

「二人とも、何の話してたの?」

「看板が可愛いねって言ってたの。ね、まりちゃん?」

そう言って私に話を振るものだから、りとの視線も私に向けられてしまう。

「そ、そうね。なかなか悪くないと思うわ」

壁や天井にふらふらと視線を向けながら、精一杯の答えを絞り出す。さっきことこと話していたことが、なかなか口から出ていかない。ボツになった看板に言い過ぎたのもあって、少し気まずかった。

「うん、ありがと。ことこ、まり」

でも、りとはそんな私の気持ちなどどこ吹く風というように、さらりとお礼を返す。そして、りとは私たちが手に持っているクラゲ菓子に気付いて指をさした。

「それ、配給?変わり種の合成肉、久しぶりだね」

「ううん、配給品じゃないの。どうしても食べてみたかったから、フェアに合わせて入荷してみたんだ〜」

復刻版の合成肉は高いごちそうとして、あるいは安い代用品としてしばしば配給に紛れ込んでいた。それぞれの当たり外れは大きいにせよ、単調になりがちな配給のいいアクセントになっている。

「この前のは、固くてあんまり好きじゃなかったわ」

「たぶん、クジラかな?保存の仕方が悪かったかも」

クジラはすごく大きい動物で、昔はよく食べていたみたい。かつては、原宿の近くにもクジラ専門レストランがあったらしいし、美味しい料理法もあるのかしら。

「その前の合成肉は?あれは美味しかったよね」

「あのすごく柔らかいやつ?確か、ウナギだったわね」

ウナギという名前は、あんまり美味しそうな名前ではなかったから逆によく覚えていた。かつては、骨も無くて柔らかい脂の乗ったお魚だったらしい。

でも、どうして骨が無かったのかしら?ことこの説明は難しくてよく分からなかった。

「ウナギは高級品だったみたいだよ。合成品が出回ってよかったねぇ」

「でも、ミックスサンドは具材のバランスが命なのよ?」

高級品だったという割には、配給日前のミックスサンドで適当に消費されていたのを思い出す。まぶされた和風のたれは美味しかったけど、実のところウナギの食感はあんまり覚えていなかった。

お金がない時は、いつだってミックスサンド。今週も、家中からかき集めた余り物で作った気まぐれサンドイッチが続いているのだ。

「じゃあ、クラゲフェアでしっかり稼がないとね!」

「そうね。エアコンも食生活も救わなきゃ」

立ち上がったことこが腕を突き上げると、シャツの裾がふわりと舞い上がる。と同時に、ぐぅ、とことこのお腹が鳴いた。

「食べ物の話してたら、お腹空いてきちゃったわね」

「じゃあ、バックヤードで朝食にしようよ。お客さん、まだ来てないみたいだし」

もう開店の時間は過ぎていたけれど、外を歩く人通りはまばらだ。夏の朝は、いつもより少し遅い。

3

午後になると、ちらほらとお客さんがやってくる。店内の雰囲気ががらりと変わったPARKに、初めてのお客さんも常連さんもいい反応を示してくれた。

夏の間、客足のピークは――特に、近所のショップの子たちが遊びに来てくれるのは――夕方近くになることが多い。お昼過ぎなんて、一番暑くて日に焼けちゃう時間帯だもの。ほんっと、バブルドームが古すぎるのが諸悪の根源よね。

こんなに日差しの強い午後なのに、ついさっき、りととことこが二人で買い出しに出かけていった。

私は涼しくなってから行くように勧めたけれど、ことこはどうしてもと言い張って聞かなかったのだ。結局、りとも荷物持ちとしてついていくことになった。

当然、私はお留守番。とっても暇な店番だ。日焼け止めクリームも完璧ってわけじゃないもの。

二人が外に出かけて、私が一人で残って店番をする。

思い出してみると、最近はこうやって一人でぼんやりする時間が少なかった気がする。いつもと違う店の中、一人で話し相手もなく、暇な時間がゆったりと流れていく。静かな海の音に囲まれて……何だか、落ち着かない。

やっぱり、今日は少しだけ変な日だ。

ことこのおかしな言動が、私に波乱の予感を与えているのかもしれない。こういう時のことこは、いつも一人で大きな問題を抱えてるから。一人で頑張ろうとするところ、直ってないのよね。

「さて、お縫製の続きでもしようかしら」

手持ち無沙汰で落ち着かない時間を過ごすのに耐えかねて、私はレジにミシンを持ち込むことにした。少しずつ進めていた夏服が、そろそろ完成するところなのだ。

「もう少しね」

小さい頃から、ずっと自分で服を作ってきた。自慢できる特技と言ってもいい。

ママにミシンを借りて縫っていた頃は、服を買うお金がないから頑張ったものだった。今ではもう、節約のためというよりも、自分が納得する服を手に入れる一番の近道だと思ってる。

それに、私がPARKに貢献できるのはお洋服くらいだから。ことこみたいに頭脳派の戦略も立てられないし、りとみたいにポップなイラストでお客さんを集めたりもできない。だから私は、来てくれたお客さんが喜ぶような最新の服を作らなきゃ。

古着のほころびを直すくらいなら りとことこ もできるけど、少し込み入ってくるとすぐに私の出番になる。もちろん、デザイン画はりとに手伝ってもらうこともあるし、そこは頼りにしてるわ。

それとは逆に、私がりとを手伝って店内の飾り付けを作ることもある。全体の計画はことこが練ってくれるから、安心して作業できるの。

りとってたまに合わないところがあるけど、こうやって三人一緒に頑張れるのってすごくいいことよ。

当のりとには、面と向かって言えないけど。

「二人とも、何してるのかしら」

りととことこが二人だけで外に出かけているのは珍しい。どちらかといえば、二人で出かけるのが多いのは私とことこの方だ。ショッピングをしたり、食べ歩きをしたり、うわさ話を交換しあったり。はしゃぐことこは色んな話を聞かせてくるけど、たまにありえない空想のお話ばかりになってイライラしちゃうこともある。

ことこが熱心に語り出す夢見がちな海外旅行計画も、スクーパーズが来なかったら実現していたのかもしれない。そうしたら、こんなバブルの中で閉塞感に満ちた生活を送ることもなかっただろう。

でも、スクーパーズがいない世界で、私たちは出会うことができたのかしら?

「……あっ、やだ」

慌ててミシンから足を離すと、ほとんど縫い終わっていた軌跡が少しだけぶれて止まっていた。規則的なミシンの音にとりとめのない考えが重なって、手元への注意が薄れていたらしい。

ほどいて縫い直そうか、それとも上から何かを縫い付けてしまおうか?普段ならすぐに糸を抜いて、薄く残る針の跡でさえ気にしてしまうところだけど、今日はどうしてか気怠い空気が私を包み込んで離さなかった。

「なんか、昔を思い出すわね」

ぶれたミシンの跡は、昔を思い出させる。まだ上手にミシンを扱えなかったあの頃を。

川崎でママやパパと一緒に暮らしていた頃は、お姉ちゃんとしてみんなのお世話をしなきゃならなかった。それだけ我慢も多かったし、自分の好きなことをしたせいで叱られるのは、今でもすごく嫌だと思う。

みんなは、今頃どうしているのかしら?

そんなに悪い思い出じゃないけれど、帰りたいかと訊かれるとやっぱり「ノー」ね。家を離れる直前は治安もよくなかったし。

曲がったミシンの糸の軌跡を見つめて、指でなぞる。

「やっぱり、縫い直しましょ」

ちくちくと糸を解いてから布をぴんと張った。どれだけ擦ってみても、影になった針の跡はもう消えない。


私がミシンで作るのは、自分の服だけではない。お店で売る服はもちろんだけど、りとやことこの持ち物を作ってあげることもある。

実は、今日りとが提げていったショルダーバッグにも、私が作ったポーチが入っていた。

私がミシンで初めて完成させたのは、自分の服を使ったポーチだった。あのポーチにも、さっきみたいに歪んだ軌跡が走っていたわね。

古着をポーチに作り変えるのは、原宿に来るよりもずっと前に覚えたテクニックだ。いつでも布を買ってもらえるわけじゃなかったし、着られなくなった服をずっとしまっておくのも寂しい気がしたから。

それから、小さくなった服を裁断して新しいアイテムに作り変えるのは私の習慣になった。とはいえ、身体が成長して服が入らなくなるなんてことはもうない。今ではむしろ、ほつれたままチェストに突っ込まれたりとの服をリメイクすることが多いくらいだ。ことこもそれを見て、「私にも作って〜」なんて頼んでくる。

こういう時に、ことこは全身で喜びを表現してくれるけど、りとはやっぱりそっけない。

シャンプーもボディソープも、りとにとっては昨日の夕食くらいにどうでもいいことだ。私のポーチも、それと同じ。口でこそ「可愛いね」とは言うけれど、りとは、自分がどうでもいいと思ったことはとことん気にしない子だから。

それでも、自分の作ったものがずっと使えてもらえるのって、やっぱり少しだけ嬉しいわ。

「これくらいでよさそうね。ちょっと合わせてみましょ」

ばさり、と完成品を広げて鏡の前でひらひらと振ってみせる。縫い直した部分の仕上げも終わって、思い描いていた通りの爽やかな夏服ができあがっていた。フリルの付いた淡いブルーのワンピースは、クラゲフェアからインスピレーションを得て作り始めたものだ。白黒のポルカドットが添えられて、思った通りのレトロな雰囲気を引き出している。これなら――

「これなら、りとも可愛いって言ってくれるかしら……」

――って、違う!首を振って変な想像をかき消した。

変よね。りともことこも、いつも可愛いって言ってくれるんだから、今更照れることなんてないのに。

「こんにちは〜。まりちゃん、いるかな?」

と、お店の入口から声がした。久しぶりのお客さんだ。できたての服を片手に、鏡の前から離れて振り向くと、原宿らしいカラフルなリボンが目に入る。

「いらっしゃいま……って、さゆみんじゃない!」

エプロンドレスの聞き慣れた声は、クレープ屋さんのさゆみんの声だった。クーラーボックスを提げて配達に回る姿は、もはや原宿ではおなじみと言ってもいい。

「すっかり暑くなっちゃったねー。お店があんまり暇だから、遊びにきちゃった」

「屋台だと仕方ないわよね。うちも今日からフェアなんだけど、売上はぼちぼちってとこ」

ショップの子たちの間では、署名を集めて防衛隊にエアコン修理を急がせようという話になっているらしい。実はみんなお店の売上なんかどうでもよくて、決起集会とは名ばかりの飲み会を開いて大騒ぎしたいだけらしいけど。

「クラゲフェア、だっけ?PARKの雰囲気がすっかり変わってて、びっくりしちゃった」

「そうなのよ。ちょっと色々あってね」

くらげやことこのアイデアについて教えると、さゆみんは「ことこちゃんらしいね」と軽く笑う。そして、私が左手に抱える服を指さした。

「それ、新作?」

「そうなの。たまには時間を掛けて自分だけの服を作ってみようと思って」

「すっごく可愛いよ!気合入ってるね」

そうでしょそうでしょ、と心の中で答えながら鼻を高くした。りとに褒められたって、照れずにこうやって得意げにしていればいいのだ。

さゆみんはひとしきり新作を眺めてから、クーラーボックスからごそごそとピンク色の箱を取り出した。

「そんなまりちゃんに、差し入れ。新作のクレープだよ」

小さな発泡スチロールのケースがレジに置かれる。表面のひんやりとした感覚が空気を伝わってきて、蒸すような暑さが少し和らいだ。

「ありがとう!今、りともことこも出かけてるから、後でいただくわ」

「あ……りとちゃんとことこちゃんには、もう渡したの」

「あら、そうなの?」

どうやら、買い物途中の二人とすれ違っていたらしい。なかなか帰ってこないと思ったら、さゆみんとおしゃべりしていたようだ。

「りととことこ、何か言ってた?」

「木陰でもやっぱり暑いねーとか、そんな感じ?まりちゃんはお店にいるって聞いたから、寄ってみたの」

「そ、そう……」

木陰?下で涼めるほど大きな木は、公園くらいにしかない。二人は買い出しに出ているはずだけど、荷物が多くて休憩でもしているのかしら。

やっぱり何か、少し変ね。


「――ちゃん、まりちゃん。起きて」

「ん……あら、ことこ。帰ってたの」

店番をしているうちに、いつの間にか寝てしまっていたらしい。外はいつの間にか暗くなりかけていて、うだるような暑さは少しだけ和らいでいる。

さゆみんの持ってきたクレープの包み紙は、レジの横に綺麗に畳んで置かれていた。

「まりちゃん。ちょっと、話したいことがあるの」

身体を起こすと、ことこが深刻そうな表情で私を見下ろしている。その後ろでは「ラ・ラ・クイーン」の紙袋を片手に提げたりとが、退屈げに壁に寄りかかっていた。

「りとも一緒?」

「うん、三人の話だから」

後ろに視線を向けると、ことこの代わりにりとがそう答える。三人の話、だなんて随分と仰々しい。

「どうしたの?そんなに改まっちゃって。クラゲフェアなら順調に進んでるわよ」

「えっとね、お店の話じゃなくて……」

「分かったわ。ベースメントで話しましょ」

なによ、軽い冗談じゃない。何だかはっきりしないことこの態度に、少しイライラした。

カウンターを整理してからレジに鍵を掛ける。ひっくり返された「本日の営業は終了しました」の札が、射し込んだ夕日の光を反射してよく輝いていた。

後半へ続く)



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